紙袋

 僕はどこに出かけるにもかばんを持たない。コンビニのビニール袋でもいいし、紙袋でもいい。あわよくば、目的を達して不用になったものは捨てて帰りたいので、すべてにおいて身軽にしている。物に囲まれて暮らすことを好まない僕でさえ物が増えて困るのだから、無駄なものは外出時であろうが持たない。僕にとって、カバンは無駄なものなのだ。  朝食時にテレビを見ていたら、二十万円もするカバンが紹介されていた。どこがいいのかよく分からないが、軽薄なアナウンサーは用意されていたようなコメントを言っていた。そのカバン一つを買う為に、どれだけの労働時間を費やすのか、又牛か豚かマントヒヒかしらないが動物が命を落とすのか、そんな事を考えながら、物に拘らない自分の性格に感謝した。この性格のお蔭でずいぶんと人生が楽だった。虚構の世界とは無縁で、地を出して、使いなれた言葉で、価値観で過ごすことが出来た。この性格で失ったものはなにもない。誰も離れていかなかった。逆に得たものは非常に多い。僕の薬局を利用してくれている人達すべてだ。僕が僕でなければ会えなかった人達ばかりだ。  現代は無駄で成り立っている。数々の無駄を作るために多くの労働者が骨身を削っている。程ほどの満足を教えられていたら、今の経済は有り得ない。メディアは1日中浪費を喧伝し、腐敗を煽る。命を失い、環境を失い、未来を失い物欲信仰を邁進する。何がついに立ちはだかるのか僕には分からない。しかし、このままはおそらく有り得ない。心を失うのか、生命を失うのか。  風に舞うビニール袋の中に閉じ込められた欲望。