旅人

交通事故で息子を失った老婆が、葬式の翌日挨拶に来てくれた。90歳だから体は小さくなっていたが、背はまっすぐに伸びていた。あまり親しくはないが、60前の息子さんと二人住まいなのは知っていた。トラックに追突されて亡くなったらしく、まったくの過失は彼の方にはない。  まさに殺されたのだ。車と言う凶器に殺されたのだ。昨日までずっと一緒に暮らしていた息子さんを失い、この老婆の悲しみは計り知れないだろう。それなのに、葬儀の翌日にはお礼の挨拶に来られる。話しているとかすかに微笑むこともあった。この悲しみの中で微笑むことが出来る人間の秘められた力に驚いた。置かれた状況をただ呪うのではなく、理性は完全に老婆の心を制御している。この圧倒的な人としての力に敬服する。老いて肉体的に失うものは大きいが、無形の得る物はひょっとしたら、失う物以上の価値があるのかもしれない。人は生きている間、日々、未知なるところへ旅する旅人だ。