人様

 10年以上僕の薬局を利用していなかった人が突然やってきた。最近の不調を説明して何とかしてと言うことだった。僕は漢方薬を作って渡したのだが、実は気乗りはしていなかった。1週間分作ったら、それが又良く効いたらしくて、再び薬を頼まれた。  僕が牛窓に帰ってからしばしば利用してくれた人なのだが、ハイが全くない人だった。必ず、否定形から入ってきた。育った過程に問題があったのか、プライドが高すぎたのか素直さを全く持ち合わせていなかった。でも何故か僕の薬局を利用してくれていた。家族にある問題が起こって以来ぱたりと姿を見せなくなった。町で見かけることもなくなったから、恐らく全ての買い物はよその町まで出かけていたのだろう。小さな町だから、風評は一瞬にして広がる。あのプライドの高さからしたら耐え難かっただろう。恐らく、自分の中で時効が成立したから再びやってきたのだろう。僕も含めて、多くの人は何ら拘ってもいないのに。  人生の全てで、上手く行くなんてあり得ない。禍福はあざなえる縄の如し、いい時もあれば悪い時もある。それが常だし、そうでないと皆浮かばれない。問題は、いい時をいかに謙虚に過ごすことが出来るかだ。これにはかなりの精神力がいる。自制の力は時として生み出す力より大きいことがある。教育の中で、あるいは実体験でもし謙遜を学ぶ機会がなかったなら身に付いているはずもないし、恐ろしいけれどその心のありようが理解すら出来ないのではないか。  今日1日食べるもの、着るもの、何一つ「人様」の手を借りなくて出来るものなどない。大企業の社長だって、オエライ政治家だって、下々の「人様」の手を借りなければ朝食一つ摂ることが出来ない。彼らは人種が違うからそもそも謙遜なんか期待してはいないが、せめて下々はお互いを尊敬し謙虚に暮らしていかなければならない。少々多く持っても、少々秀でても、所詮庶民の間ではしれている。与えられた物はいつ失うか分からない。でも、心の中にしまっているものは失いようがない。心に徳を積むとはこういったことを教えているのかもしれない。