ドミノ倒し

 首から上と下では年が20才は違う。以前からその道の商売をしているのだろうと思っていたがやはりそうだった。僕を昔から、「先生、先生」と呼ぶのだが、どうもその呼び方が板に付きすぎていて、客商売特有の響きがしてならなかったのだ。「社長」ではないからまあいいけれど。  時々買い物に来ては、欲しいものを買っていく程度の女性だったが、今日は何故かレジがすんでも帰らない。僕が一人しかいなかったので、都合が良かったのかもしれないが、沢山病気についての質問を受けた。本人、あるいは家族の相談かと思っていたが、そうではなく、飲み屋をやっていて、客の相談だった。かなり具体的な対象を頭に入れての質問のようだったから、僕も具体的に答えた。その後でお店の光景を少し話してくれたのだが、それが結構面白かった。  65才だから、客にとってはお母さん世代か、下手をしたらお婆さん世代にあたるのか。客が戸を開けて入ってきたらすぐその日の調子は分かると言っていた。体調はどうか、会社で問題があったかどうか、家庭が旨くいっているかどうかなど。酒を飲み、歌を歌い始めると、その予想が裏付けられると言っていた。会社で、家庭で言えないことを、酒の勢いを借りてママさん相手に吐露するのだろう。聞いてくれ、秘密を守ってくれるから、心の中のわだかまりを全部捨てて帰るのだろう。  なかなか立派な仕事をしているではないかと思った。結構人助けしているんだと思った。医者でもない、宗教者でもない、カウンセラーでもないのに、きっと多くの人のしょっている荷物を一時預かりしてあげているんだと思った。少しの時間でも荷物を降ろせれたらずいぶんと楽になるものだから。  帰りがけに「私は健康そうに見える?朝の3時頃帰るからしんどいんだけど?」と真顔になって質問した。身体を締め付けるような服とスカートが功を奏して、首から下はかなり若く見えるが、首から上はごまかせない。「仕事はしんどいのが当たり前。その年で世間の役に立てれているのだから、しんどくても死ぬまで続けたら。客の相談をした時、涙ぐんでいたじゃない。それだけ親身になれることはその年で他にはないよ。健康より遙かに価値があるよ」と答えた。見るからに人が好きでおしゃべりが好きなような初老の婦人に、家でおとなしくなんて口が裂けても言えない。好きなことをしているときは、健康が後から付いてくる。  珍しくと言うか、初めてというか、とても丁寧にお礼を言い頭を深く下げて帰った。たまには聞くだけでなく喋ってみたかったのだろう。それこそ、許容量が一杯になって溢れんばかりだったのかもしれない。社会は、所詮ドミノ倒しなのだ。終わりはない。