喜色満面

 小学校の低学年くらいな子供の背丈に縮んだおばあさんが、今日も曲がった腰で畑に行く。白菜やキャベツのような重量野菜を作っている。暖冬で豊作貧乏の今年も働くことをやめない。初老の息子は、稼いだ金をギャンブルに使う。老いた母は、年金も手をつけずに息子に渡す。引退できないお年寄りが結構いる。老いて敬われ大切にされるのは、この国では難しい。  喜色満面の経営者達が、テレビに映し出される。スポットライトは低賃金で働かされる人達を照らさない。日の当らないところで社会の歯車になり、懸命にその日その日を食いつないでいる人達の忍耐でこの国の治安は保たれている。もし忍耐の限界を超えた時、喜色満面の人達がいつまで笑っておれるだろうか。分かち合うことをしなかった付けは、いくら温厚なこの国の人だっていつかは払わせるだろう。  多くの人が、働かないのか、働けないのか分からない。大金持ちの老人達はこのことに興味がないらしい。自分の一族が楽をして利権をむさぼれるようになればいいのだろう。彼らは、80歳を超えたお年寄りの作った白菜を食べている。70歳を超えたお年よりの漁師が釣った魚を食べている。野菜は野菜の味がするか、魚は魚の味がするか。まさか何を食べてもお金の臭いはしないだろうな。