線路が海に落ちる町

 この1年間、僕は毎日曜日車で1時間くらいの町へ通った。宇高連絡船の本州側の玄関として発展した町だが、瀬戸大橋が出来てから、その価値が半減している。おそらくそれと期を一にして錆びれ始めたのだろう。玉野造船の町としても知られ大きな船が作られていたらしいが、一時の衰退を耐えて今又復活の兆しを見せているらしい。  その町に僕を知っている人はいなかった。今はあるグループが僕を知ってくれているが、その他の人は僕を知らない。町を歩いても、苦手な買い物をしても誰一人知った人に会わない。何でも出来そうな町だ。  宇野線と言うJRの単線が通っていて、1時間に1本くらい電車が通るみたいだ。昔はおそらく四国に帰る人が、終点の駅に降り立ち、連絡船が着く波止場まで歩いたのだろう。波止場と駅が異様に近いのだ。波止場と駅の間に道路が横切っていて、毎日曜日とおるのだが、遠い昔、きっとこの場所で繰り広げられていただろう懐かしい光景に、毎回思いをはせる。  十字架の前にひざまづき敬虔な祈りをささげるフィリピンの若者達、スーパーのおばちゃん、電気屋の若い店員、スーパーのレジ係、ガソリンスタンドの店員、もう僕の記憶の中には沢山の顔が入っているのだが、この町では僕は透明人間だ。  線路が海に落ちるその町で、僕は良き人に会い、買い物袋に無造作に放りこんだ本を開き、心の栄養を摂る。人は身体の栄養には心を配るが、心の栄養が必要なことは忘れてしまう。心が飢えれば、人を愛することも、気遣うことも出来ない。生きていく理由さへ見失ってしまう。線路が海に落ちる町に助けられたこの1年だった。