見舞

 これはいつか見た光景なのだ。いやいやわずか3年前、半年間、毎日見た光景なのだ。息子に紹介された方に漢方薬を送っていた。奥さんの声だけが接点だ。とても聡明な方のようで、電話で教えていただく情報で十分な薬が作れていたと思う。その方があることで体調を壊し、入院をされた。集中治療室から出られたと連絡があったので、今日薬剤師会の講演の後、見舞いにいって来た。ベッドで横たわっているご主人の身体には、幾本かの管が通されて、命を保証されていた。口からなにも取れないので、薬も管から取っている。筋肉が一気に衰えていて、ベッドサイドで身体に触ってみて、薬のアイデアは浮かんだのだが、なにぶん手が出せない。歯がゆいけれど、大病院のベッドで寝ている人に処方を考えるだけでおこがましすぎるのかもしれない。  1年以上、電話の声だけの間柄だったので、お会い出来たことが僕も嬉しかったが、お二人もとても喜んでくれた。「先生に会えたから、お父さんきっとよいことが起こるよ」と奥さんがご主人に言ってくれた。そんなもったいない言葉をもらえるような人格も実力も僕にはない。しかし、何故か僕はその無力感を超えるやる気を自分の中に感じたのだ。薬局は命に関係ない人のお世話をするところ。僕には僕を生かせられる分野がある。早く明日から仕事をしたいと思った。結局、力をいただいたのは僕のほうなのだ。