レジ

 コンビニでも、スーパーでも、僕は黙ってレジを終えられない。最低は会釈、相手が返しそうならお世話になりましたの挨拶。そのどちらもしないで通るのは難しい。幼い時から、買い物に行くとお店のおばさん、おじさんに必ず挨拶をさせられた・・・に違いない。記憶にないから定かではないが、習慣づいているから幼い時から出来ていたはずだ。  僕は日本人のモラルの低下は、スーパーが出来てから一段と加速したと思っている。かなりの近距離に対峙した人と、挨拶がなくて、物事が進んでいくと言うのは日本人には馴染みがなかったはずだ。袖すりあうも何かの縁と、関係性をとても大切にしてきた人種が、その関係を断ち切って、相手を気遣うことすらしないことに耐えられるはずはなかった。魂までアメリカ的に合理主義を身につけたスーパー世代はもう団塊の世代になって、無言で通り抜ける年配者になった。その子供たちは、コンビニで更に磨きをかけだんまりを決めつけている。連帯してなにかを成し遂げることが苦手なものだから、結果的には飼いならされた羊のように、牧羊犬に追いたてられ、自分で道を選択できない。飼い主にていよく利用されているだけだ。いつか毛を毟り取られ、肉をさばかれるのに気がつかない。  スーパー、コンビニのレジ1つから、普通の人の苦しみが始まっている。いつの世も戦場に行くのは普通の若者。行かすのは普通とは縁遠い年寄り達。黒い大きな車から、ドアを開けてもらって降りてくる年寄り達。