無言電話

 漢方の研究会の帰りに、あるスーパーに寄った。丁度夕食の買い出しの時間だったのか沢山の人が買い物をしていた。その時間帯にスーパーに寄るようなことがないので、こんなに人が集まるのかと感心した。  いくつものレジがあり並びかけるのだが、どのレジにもかごから溢れそうになるくらい買い物をしている人達が並んでいて、なかなか進みそうにない。数カ所を行ったり来たりして、結局最初のレジに並んだ。レジ台の上で買い物かごからいちいち品物を取り出し、値段を打ち別のかごに入れ替えるので、他人が買ったものが全部見える。若夫婦のような人達、おばさん達が多くいたが、見るつもりはないけれど、よその家庭の台所をのぞき見しているようで興味深かった。忙しい現代だから理想を言うつもりもないし、理想通りでは味気ないので構わないのだが、全体的にはどこの家庭も脂質が多いように感じた。茶色のものが目立った。逆にかさばるはずの緑は少なかったように思う。たまにかごの中から頭からしっぽまで揃った魚が出てきたりすると、買った人の顔を見たくなったりする。  薬剤師根性はさておき、驚いたのはレジ係りと客との人間としての交通のなさだ。何に例えたらいいのだろう。そうだ、公然と行われる無言電話だ。レジ係はうつむいたまま淡々と値段を読み上げ、客は、ある人は視線を読み上げられる品物に集中し、ある人は遠くに視線をやり、会計の間中、挨拶もなければ視線も合わせない。僕が短い時間で目撃した人達全員がそうだった。恐らく客にも礼儀を教えなければならない子供や孫がいるに違いない。また、職場では失礼のない立ち居振る舞いが要求されているだろう。それなのに、ちょっと強い立場になったときのこの態度は何としたことか。それで日常背負わされている負い目の憂さが晴らせるとでも言うのか。まるで暗闇で見ず知らずの人とすれ違うような不気味さを感じた。  僅か数十センチの距離にいる人と人とが、何ら意思表示をせずに一緒におれる社会は寂しい。無視したり、警戒したりと、およそ精神にはダメージだ。私はあなたの敵ではないよと、人間にはとても素敵な交通手段が備わっているのに。微笑みと言う。  ちなみに僕は、レジ係の値段の読み上げにいちいち返事をし、お礼を言って外に出た。もっとも買ったのは夕食用の「尾道ラーメン」2つだけだったが。