弁当

 早朝来ればこんなに沢山の弁当の在庫があるのかと少々驚いた。何となく、コンビニ弁当でもいいかと投げやりになったときしか利用しないから、ほとんど売れ残りをあさるような時間帯にしか僕は利用しない。どれがいいかなんてこだわりが全くないから、一番に目のついたものを買う。ほとんどの場合、硬くなった揚げ物に若干手こずるのだが、空腹を満たすだけが目的だから元々それ以上のものは期待していない。寧ろ、酸化物や添加物を大量に体内に取り込むのを警戒して否応なく食べているのが本音だ。 日曜日の朝、僕はその弁当コーナーで3人の老女を見た。3人とも僕の薬局を利用してくれる人だった。揃って買い物にくるにしては住所がそれぞれかなり離れているから、恐らく偶然集ったのだと思う。それぞれが弁当を手に取り、如何にも物色している様子だった。何となく声をかけるのがはばかれたから、僕はいつものように最初に目に付いたものを手にとってレジをすませた。  コンビニまで歩いて、又は自転車で来れるだけの体力がある人達だから、自分で食事くらい作ればいいのにと思うのだが、何かの理由で弁当を買っているのだろう。まさか独り者の男性のように常食にはしていないのだろうが、ひょっとしたら「たまに利用」を越えているのではないかと勘ぐったりした。別に悪いことではないが、やはり老人の食事は気になる。と言うのは、老人は病気で亡くなるよりも栄養失調で亡くなる確率の方が高いなどと言う一文を読んだことがあるからだ。信憑性がどれほどあるのか分からないが、何となく頷ける部分もある。家で質素なものを食べるよりは、コンビニ弁当の方が栄養価は高いかもしれないが、やはりあの油臭さと隠れ添加物と余りにも少なすぎる野菜のことが気にかかる。もし僕に経済力があれば牛窓町の老人に手作りの食事を低価格で提供してあげたいなどと殊勝なことを考えたりすることがある。いつかテレビで見た地産地消型で。  そうだ、やはり僕の晩年はこの純粋な心を持ち続け、地域の老人の健康を食生活を通じて守ることに費やそう。よし明日は浄財を求めてロト6を買う。これしかない。働いていたのでは間に合わない。