家庭料理

 単なる想いでしかないが、時々頭に浮かぶ。
 薬の仕事だけやって来たから、何か他にも些細なことでいいから世間の役に立てれるものはないかと考えることがあるが、田舎に何が足りないのか、何があったらいいのかなど、意外と思いつかないのだ。物流や情報が発達したおかげで実際に不自由を感じることはほぼない。むしろ穏やかな時間が流れ、それだけで命の無駄な消耗が防げている。
 しいて言えばの範疇だが、500円くらいでまともな昼食が、いや昼食に限らず、せめて1日1食、まともな食事が出来たらいいなと思っていた。このまともと言うのは、身体を養うに最低限必要なものが揃っているありふれた家庭料理と言う意味だ。
 五穀米を加えたごはん、魚に野菜、それにみそ汁に、納豆、モズクもあればいいかな。卵もあったほうがいいか。
 料理など何もできないし、食事に貪欲でもない。基本身体に悪くないものと言うのが一番に来るから、おのずと質素になる。食べたもので病気を作ったりしたら馬鹿みたいだから、美食には距離がある。運のいいことに、貧しい時代に育っているから、それで何の不満もない。
 今日7人のベトナム人を、妻と2台の車で神崎梅林公園に連れて行った。入口で降ろして、そのまま玉野の教会に行った。そしてミサを終えると迎えに行き送り届けた。
 その30分後には再び岡山で用事があったから、スーパーで二人分弁当を買ったのだが、その内容と値段に驚いた。当然見栄えがよく、日本人の好きそうなものが、まるで小さなおもちゃのように入っていた。小さな魚の切り身、小さな卵焼き、小さなこんにゃく、小さな高野豆腐、小さな鶏肉、小さなニンジン、小さな・・・
 食べてからこの文章を書くことにしたから、内容を覚えておけばよかったと後悔したが、おもちゃみたいな具材が詰め込まれていた。時間がないからかきこむようにして出発。2時間後、岡山市で用事をしているとむかむかしてきた。慌ててかきこんだのが悪いのだと思うが、果たしてそれだけだろうか。
 かつて同居していたベトナム人二人が、来日して数回だけ深夜のコンビニ弁当を作るバイトに行かされた。日本語学校と言う名目で、実は深夜の弁当作りのための隠れ蓑ではないかと思わせるほど、多くの留学生がそのバイトをしていた。二人をどうしてもそこから解放してあげたくて、介護の仕事を見つけ我が家の3階に住まわせたが、二人が言っていた。コンビニ弁当は食べないと。あんなに貧しい国から来た人がそんなことを言ったのには驚いたし、推して知るべきだ。僕は滅多に口にしないが、一見うまくできていて安価でおいしい。
 僕みたいな素人が「普通に作られる家庭料理」を売るなんてことは不可能だと教えてくれたようなものだ。見かけと値段で圧倒されている。今日、偶然手にしたスーパーの弁当で思い知らされた。泣く子と資本家には勝てないとはこのことだ。どうして398円で売って利益が出るのかわからないが、もとはなんじゃ?どこで採れたもんじゃ?もとは何円じゃ?

友部正人 一本道 - YouTube