余力

 以前、岡山市に出かけて行った時にしばしば利用するスーパー内のレストランがあった。日本人が好きなものを雑多にメニューにそろえ、1000円出せばどれもおつりが来る値段設定で重宝していた。一番いいのは、小さなテーブルコーナーが10ほどあり、1人で入っていっても堂々と席を占有できることだった。どのくらいの人が利用してくれれば経営が成り立つのか分からないが、結局2年位前に撤退してしまった。僕は日曜日の昼利用するから、常に7割くらいの客の入りを見ていたが、それではダメだったのだろう。  その後なんだかモダンな店が経営を引き継いだ。料理自体はごくありふれたものだったが、システムがややこしかった。まず店頭に掲げられた巨大ボードで注文の仕方を勉強しないと中でまごつきそうだった。案の定一度勇気を振り絞って入ってみたが、ウエイトレスさんにかなり説明をしてもらわないと料理が注文できなかった。自由に野菜などを取れるのだけれど、主なる食べ物は普通にオーダーするというものだったように記憶している。これは一度入ったおかげでやっと理解できたシステムだが、妙に理屈っぽい案内ボードを読んだだけでは分からなかった。これでは難しすぎて、僕ら世代は敬遠するだろうなと直感で分かった。  案の定、今日1年ぶりくらいに覗いてみると、店頭の巨大ボードが下ろされていた。それに変わってメニューのポスターが、どこにでもあるようにわかりやすく何枚か貼られていた。そのメニューも嘗て僕がそこでよく食べていたようなもので、日本人が好きな雑種の集まりだった。取り払われていた2人がけの小さなテーブルも以前と同じ配置で復活していた。一瞬、前の店が復活したのかと思った。  僕が嫌いなもの、いや苦手なもの。それは「隠れ家みたいなお店」わざわざ、不便な場所に分かりにくい店を作り、価値を見出してくれる人だけに来て貰えば良いと言う算段だろうが、その大上段で既に敷居ができていて、とても訪ねる勇気が出ない。入るのに勇気がいるようなところにどうして行かなければならないのか、僕には理解出来ない。店が隠れているのか、店主が隠れているのか、客が隠れるのか知らないが、僕は開かれっぱなしでないと扉を開ける勇気はない。食べ物だけでなくあらゆる業種でだ。だから隠れていない立地の店でも、外から店内が見通せないところは敬遠してしまう。おおむねそのような店は流行っていない様な気もするが。  何はともあれ、あのスーパー内のレストランの転向は歓迎だ。おそらく僕以外にも多くの人が同じ印象を持っていたのだと思う。それが証拠に久しぶりに入った店には客が結構いた。斬新な形態をとっていた頃には、客はまばらだった。早晩行き詰るだろうと、看板を眺めるだけで帰っていった人達(そのような人を沢山見た)も思っただろう。これをもって保守的とは言わないで。あえて昼食ごときで挑戦する価値もないってことだ。そこそこにお腹が満たされればいいのだ。挑戦するもの、挑戦しなければならないものは沢山ある。力を分散するほど僕には余力はない。