ドライブ

 今日あるお客さんと話しをして気がついた。よくドライブに行こうなどと言うフレーズがあるが、僕にはその言葉はない。その意義もない。よくよく考えてみたら、意味もなく車を走らせた記憶はない。必ず到着地点で用事がある。車は単なる便利な移動の手段と思っているから、そのもの自体を楽しむことは出来ない。寧ろリスクを先に考えてしまうから、無駄な乗りようはしない。便利より凶器の方が先に浮かぶから、自然とリスクを避けるようになる。車を僕が選ぶ第一の基準、いや唯一の基準は「安全」。安全を買う。それ以外はいらない。だから僕の車には必要最低限のものしか備わっていないし、手入れもしないから、傷むのは早いのだろう。でも傷んでも汚れても全然気にならないから、最後まで乗りつぶす。自動車会社の振りまくイメージをうのみにして、車のためには働けないし、車のために人生を失ったりしたくはない。  自尊心は大切だが、飾らない生き方はとても気が楽だ。悟った人のようにはいかないけれど、なるべく自然を基準にものを考えると、無駄なものに気がつくことが多い。物を追求すると必然的に自然と乖離していく。それどころか自然を壊したりする。目の前に広がる自然を壊すのは勿論だが、回りまわって自分の身体の中の自然も破壊し、心まで破壊を進める。  おびただしい、消費を煽る宣伝に毎日攻められ、毅然とした態度を保つのは難しい。しかし、自分の価値観を保ち、怪しいものを見ぬく眼力を日々磨いておかなければ、取り返しのつかない不自然を享受しなければならなくなるだろう。携帯電話をあわただしく操作して得られる情報に人の血は流れているのだろうか。