平和

 昨日、教会で「そんなに不幸なの」と僕に尋ねた人がいた。軽い気持ちで尋ねたのだろうが、僕は真剣に考えてしまった。そんなに僕は幸薄く見えたのだろうか。僕はしばらく考えたあと「不幸ではない」と答えた。ただ僕の心の中に平和はないと思った。僕の心の中にでさえ平和がないのだから、誰にもそれを分けてもあげれないし共有も出来ない。  今日は嬉しい知らせが多くはいって来た。過敏性腸症候群のガス型の二人が、もう完治が近いと連絡をくれたし(二人とも牛窓にわざわざ来てくれて、泊まっていった)、四国の女性は里帰りした時にアトピーがとてもきれいになったのを見せてくれたし(薬剤師さんが別人と間違えるくらい若くて美しくなっていた)小児麻痺で60年以上不自由されていた方が、痛みで寝てばかりしていたのが起きあがったとか、どれもこれも嬉しい知らせばっかりだ。  ただこの方たちは少なくとも僕の心に少しは平和があった時にお会いして処方を決め薬を飲み始めた人達だ。今の僕に、皆さんの痛みを自分の痛みとして感じられ、ともにトラブルと戦う知恵を湧かしてくれる平和な泉があるのか。僕の生活はこの1ヶ月、機械に成り下っている。それもかなり性質の悪いやつに。早く人間の世界に戻りたい。