貧乏

 4時間くらい色んなことを喋ったが、その間彼女は何度となく「貧乏ですから」という言葉をくり返した。想像でしかないが彼女の言う貧乏と日本人の言う貧乏はかなりの差があるのだと思う。彼女の場合兄弟が8人もいて末っ子らしいから、恐らく食べ物にまで苦労したのではないか。詳しく尋ねるわけにはいかないから想像を巡らしただけだが、日本で働く3年間で少しはそうした環境から脱出してほしいと思った。日本で働くと経済的に楽かと尋ねたら笑顔で頷いていたからほっとした。 例えばグーグルでベトナムの地理を教えてくれている時に自分の生まれ育った町とホーチミン市しか知らないと言ったので、旅行はしないのとつい尋ねてしまったのだが、その時に出たのがあの言葉なのだ。彼女だけでなく多くのその国の人は旅行などしないと言い、そのお金があればものを買うと付け加えた。僕も滅多に旅行しないから同じだといっても説得力は全くなかっただろう。何の気休めにもならない。 2週間前に午後の仕事中に必ず気を失いそうになるというので貧血の薬を上げた。彼女の1日分の稼ぎ以上の値段だから、とてもお金はもらえなかった。今日やってくるなり全然フラフラしなくなったと喜んでいた。あの時僕にどうして病院に行きたくないと言ったのと尋ねたら「私達はお腹が痛くなったら生姜を紅茶に入れて飲みます。しばらくすると治ります。貧乏だから自分で治します」と答えた。そして「仕事中に会社の人に病院に連れて行ってもらうことは遠慮です」とも言っていた 職を得るために彼女は懸命に勉強したのだろう。僅か1年半でほとんどの会話は出来るし、日本人以上に漢字が書ける。貧乏が生んだ向上心に感嘆する。「牛窓工場の人は優しい、牛窓一番」と嬉しい言葉をもらったから、「貴女の努力こそ一番」と返した。彼女と話していると、どこかに置きざりにした心の風呂敷を、ゆっくりと解いているような感覚に襲われる。