おとぎ話

 ・・・ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と。・・   これはパソコン上で見つけた文章だが、ホーキング博士だからこそ様になっている名言だ。ただコンピューターどころかそろばんくらいの僕らの脳でも同じことが言える。そろばんが壊れて珠が畳の上にバラバラになって転がり落ちる姿は、パソコンの故障に比べて格好は悪いが機能停止の宣告と捉えれば同じことだ。宗教や宗教家にとっては許し難い挑戦的な言葉かもしれないが、「闇を恐れる人のおとぎ話」という表現は臆病な僕らには痛い所を突かれたような気がした。天国やあの世を作れば恐らく死への恐怖が幾分かでも和らぐ。そうして人々は恐怖から逃れようとしているとも言える。それがよいこととか悪いことというものではなく、科学者らしいとらえ方に、例え方に興味を持った。何千年の無数の人達の信仰の営みを、一人の科学者の言葉と比べることは出来ないが、コンピューターで解決できないものが段々と無くなった時代に吐かれる言葉としてはさもありなんと思う。   また「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」という助言も、博士のそれと僕ら凡人のそれは、もたらす結果の天地ほどの差は認めながらも、何となく勇気づけられる。僕ら凡人でもそれなりに考えて、それなりに行動しているのだ。結果に対して遠慮はしていない、それなりの果実を求めている。ただそれが僕らの日常では残念ながら小鳥にさらわれるほどの小さな果実でしかない。誰にも評価されない小さな実だ。それでも考えて努力している。 最近の僕の心情に驚くほどすんなりと入り込んできた博士の言葉は、きっと意図するところがない本音の吐露だからだと思う。この言葉のもたらすものを彼は全く期待していないと思う。この言葉で何かを動かそうとか誰かを救おうとか考えてのものではないと思う。だからこそ地球の裏側ですねた薬剤師が勝手に感動したりしているのだ。 したり顔の何万人の「それらしき人々」を集めても博士のこの短い言葉にはかなわない。