高山

 時々、思い出したように高山から葉書が届く。葉書は僕の先輩がくれるのだが、ほとんどは自分のコンサートの案内だ。葉書にはいつも決まって長髪でひげを生やしたみすぼらしい男がギターをひき、ハーモニカを首からぶら下げて歌っているイラストが描かれている。それはまさしく彼の今の姿なのだろう。大学の1年生の時、1級上の先輩として知り合って、5年間、四六時中行動を共にしたような気がする。青春時代の僕を作ってくれた人といって過言ではない。まだ、その呪縛から逃げれなくて、僕をして青春時代の未熟さのままとどめているのは、彼の力なのだ。  この歳になるまで、彼が青春時代の考え、行いを持続していることに驚く。臆病にして勇敢。大雑把にして繊細。前衛にしてアナログ。相反するものを持っていたのが彼の魅力だったのかもしれない。卒業してから、10年に1度会うか会わないかの往来だが、僕には彼の考えていることや行おうとすることがよく分かる。僕自身がやりたくても、やれないことを彼は実行しているから。  葉書のすみに、「高山に遊びに来ませんか」と1行だけメッセージが書かれている。高山にさえ行けないくらい時間に余裕のない生活を続けてきた。それが何を生んだのかわからない。子供たちが巣立って、さてこれから自由になるなんて生活ではない。僕には、僕だからこそお手伝いが出来る患者さんがいる。僕が歳をとった分、子供たちと同じ世代の患者さんが増えた。毎月新しい子供が出来ているようなものだ。彼ら彼女らに僕の子供と同じくらいの力を注ぐことが出来れば、今そこで患っているトラブルを幾らかでも軽減出来るだろう。  いつか又、先輩と高山で小さなコンサートでもできたらと思う。しかし、今僕がしなければならない一番のことは、不調を抱えている人達を少しでも楽にしてあげること。終わりのない作業は、僕を解放して高山の旅に送り出してはくれない。