勉強道具と食器

 インドネシア地震で家を失った少女が、「今、欲しいものは何ですか?」と言うインタビューに答えて「勉強道具と食器、それ以外は何もいらない」と答えていた。前2つの言葉にも若干驚いたけれど、後の言葉の持つ力強さに心を打たれた。僕らはそれ以外のことに重きを置いて暮らしているのではないか。発展途上国の子供たちのインタビューで、しばしば学校が好きと言う言葉が出てくる。日本の子供たちからこのような言葉が出てくるのかどうか知らない。無理やり行かされている非常に疲れる場所と言う印象を持っているのではないかと感じたりする。学ぶことは機械的に設定されている日常でしか有り得ないのではないだろうか。学校で学んで、まだ足らないのか塾でまでテクニックを学ぶ。学校に行けることは勝ち取った権利ではなく、退屈な負担のような気もする。発展途上国の子供たちには、教育を受けることに対して感謝の気持ちがまだ残っている。  少女が語った、「何もいらない」部分に全てをかけてこの国の人は他人を利用し蹴落として、汚れた富みを手に入れようとする。日本で一番入るのに困難な大学を出た人間が、汚れた金を手に入れた罪で逮捕された。見たくない顔2つがこの半年テレビに出ずっぱりだ。汚れなき少女の言葉に、遠く離れた国の人間が感動する。お金で買えないものの中にしか美しい心は存在しない。こんなことあの2つの顔には理解できないだろうな。それに群がる人達にも。