年賀状

 今日5日になって、いくつかの年賀状が届いた。年賀状を書かない僕だが、妻が書いて出してくれているのが多いから、届いた年賀状に返事をくれたものがほとんどだ。
 身につまされたり吹き出したりして、こうした年賀状をもらえる関係を作った僕の青春は、ひょっとしたらとても幸運な青春だったのではないかと思わせるほどだ。年齢とともに変化する価値観が、年齢とともに変わらなかった価値観を抱擁する。
 二人いる先輩のうちの一人。高山で暮らしている。毎年凝った年賀状をくれるから、この先輩だけは年賀状に力が入っている。いつの間に上手になったのか分からないが、おそらく自分で描いた絵に、多くの言葉を詰め込んでいる。押しつけではないが教訓を毎年含んでいる。学生時代、薬以外の社会的な知識の多くを授けてくれた人だが、今でもそうした道を歩んでいる。と言うと格好いいが、今年は今日届いた年賀状と同じものを、すでに元旦に受け取っている。先ほどの教訓的な文書とは別に、表に恐らくこれは僕だけに向けた短い文章が書かれているが、元旦に届いたものは心情が吐露されていて「こちら(高山)へ来てから46年あまり、今にも気でも狂いそう。年も取るわけです」と書かれていた。時間を見つけて僕は年内に年賀状代わりの手紙を書こうと思っているが、同じ年賀状をくれるところを見ると「今では気が狂っている」のではないかと思ってしまう。早々に薬剤師に見切りをつけ、好きな人生を歩んだ人で、いつまでも青春みたいな人だが、青春を通り越して幼児の頭にならないようにしてほしい。
 今日5日になって、いくつかの・・・・あれっ!感染したかな?
 〇〇さーん!いつか気張って、高山まで行くぜよ!送ってくれた自作のCDを聴いてから返事を書きます。