変化

 ご主人が訪ねてきてしみじみと「大和さんのおかげです」と頭を下げてくれた。「いや、家族の愛情のおかげじゃあ~」と茶化したら「何もしてないです」とはにかんでいた。優しいご主人だ。
 実は家族どころか本人には宝くじに当たるより素晴らしい変化を成し遂げてもらった。本人の体調不良を具体的に上げろと言われたら、手の指どころでは足りずに、足の指も借りなければならない。そんな状態が30年近く続いていた。
 若いころはそれでも回復力もあり、数日分の漢方でほとんど修復可能。それをよいことに、薬は飲むけど養生は一切しないと言う生活を続けていた。それでも何とか50代に乗せた。
 しかしさすがに50歳を過ぎてからは、単なる不調が「癌かもしれない」に変わってきて、なんとなく気弱になってきた。以前のように眼光の鋭さは影を潜め、弱々しく見える時も出来た。ずっと家庭内の権力を握り続け、ご主人やお子さんを権力下において聞く耳を持たなかったが、家族が心配しているよと伝えると、以前のようにすべて却下状態ではなくなった。家族の心配を伝え、意図的に癌の話題を増やし、コロナの恐怖を悪用?し、意図を隠しながら雑談を何日も続けていたら、一念発起して禁煙すると言い出した。30年以上、周囲になんと言われても吸い続けていたのに、ある日の会話の途中に突如宣言したのだ。
 その時から漢方薬も30年続けてきた応急処方から、健康を勝ち取り継続させれるものに変えた。以前なら見向きもしないような高尚な目的を、自分で希望しそれも煎じ薬でもいいと言った。
 すると勿論、禁煙が一番の功労者だろうが、あれだけ日替わり定食だった数多くの不快症状が次第に消えていった。そして何よりもとても柔和な顔つきになった。
 コーヒーを1日10杯、インスタントラーメン、塩辛いお菓子などなど、交感神経亢進、すなわちアクセル踏みっぱなしの生活も次第にブレーキを踏める生活ぶりに変わっていった。「自分、長生きできないよ」は僕が言い続けた言葉だったが、ひょっとしたら長生きできるかもしれないと今は僕自身も思えるようになっている。
 とても考えられないような変化が、ふとしたことから起こることもある。そんなことを体験させてもらったこの2か月のドキュメント。

 

菅辞任の裏で始まる安倍麻生の終わり。高市早苗を支持する安倍の終わり。安倍・菅に連なる弱肉強食思想の強化。菅とは何だったのか?元朝日新聞記者ジャーナリスト佐藤章さんと一月万冊清水有高 - YouTube

 2年間一緒に暮らした二人と、最後の日は荷物を新しく住むアパートに搬入してから別れたが、その時も礼を言われなかった。専門学校の学費と2年間の生活費をすべて用立てたのに。
 二人は、まったく僕には相談もなく、岡山にある外国語の専門学校に入学するために来日した。その前3年間、技能実習生として働いたときのお金を利用してやってきたのだが、その後の生活費はすべてアルバイト代任せ。と言うより、専門学校と言う名の人材派遣業みたいなもので、深夜のコンビニ弁当作りの工場にほぼ無条件で学生を派遣する、いわゆるブラック企業だ。廃墟のようなアジア人だけが暮らす学生寮に、足がないと言うので自転車を持って行ってあげたことがあるが、日本語の勉強のために来日している人間などいないことを知った。
 僕は本気で勉強するために再来日した二人をそうした境遇に置きたくなくて、アパートも見つけ、アルバイトもユニクロに採用してもらった。その後条件のいい、介護施設でアルバイトを始めたが、待遇面では足元を見られて、経営者ともめて居づらくなった。そこで滞在許可が下りなくなって、ベトナムに無念のうちに帰らなければならないと泣きながらやってきた。
 その時をよく覚えている。二人は悔し涙を流していたが、日本人に対する不信感が流させた涙だ。日本人の名誉挽回も兼ねて、その後介護の専門学校に入れるように、つてを頼り、岡山県では超有名な介護の専門学校に実験的に初めて外国人を受け入れてもらうことができた。学校も我が家から通えるようにした。
 それなのに2年間、二人が僕たちのためにしてくれたことは、台風の夜、水が家の中に入ってきて、雑巾でそれを吸い取りバケツに移す作業を深夜2時間くらいぶっ続けでしてくれたことだけだ。台風を知らない二人にはとても楽しい作業みたいだったが。ただその時はさすがに二人の存在はとてもありがたかった。
 で、最初の話に戻ると、そこまでしても家を出ていくときに一言もありがとうと言わなかったのはお国柄?と思ったのだが、その時に僕はうすうす気が付いていた。家族のような関係になり、とても照れくさくて言えなかったのだと。
 それを証明するような出来事があった。先日1年半ぶりにやってきたときに、企画しているドッグパークの設計図を見せた。そこの空いている土地に「お父さんが、死ぬための家を作りたいから、二人の介護の知恵を貸して」と頼んだ。すると一瞬にして二人の目から涙がこぼれそうになった。そしてその話題はそこで終わった。
 血は繋がっていなくても、家族のように照れ臭くなり、家族のように思いやれる。そんな真理を目の当たりに見せてもらった。

 

過敏性腸症候群、うつ病のご相談は栄町ヤマト薬局まで


 

絶滅危惧種

 漢方薬のための分包機と言うものは存在しないから、現代薬のものを使わざるを得ないが、薬の量が多いことと、湿気やすいものを調剤することにより壊れやすい。普通車より高い分包機をしばしば買い替えることは出来ないから中古品を使うようにしているが、その分不都合を起こすことがしばしばだ。今日も朝からそのためにてんやわんや。
 てんやわんやと言っても僕は何もできないから、メーカーに修理を依頼する。休日でも待機していてくれて今日も来てくれたのだが、その中で一つだけ面白い発見をした。
 来てくれた技術者は30代半で経験もかなりあると思うが、僕が不具合を再現するために、ある患者さんの漢方薬を調剤して見せると彼はとても驚いて「こんなに量が多いのですか?」と驚愕した。その驚きように驚いたが、病院や調剤薬局がもっぱらのお得意様だから、漢方薬を調剤しているところを見たことがなかったみたいだ。考えられないくらいの量を、その上今日は雨だったので、分包機をドライヤーで乾燥させながら調剤している様子を見て、2重に驚いていた。漢方薬は現代薬みたいに石油からできているものではないから湿気をすぐに吸ってしまい、分包機が使えなくなる。
 僕は患者さんの体重によって微妙に量を調節するから、会社で前もって分封されているものはほとんど使わない。量ったり分包したりする作業もないし、湿気たりしないから出来出来の製品は便利だが、同じ大人でも体重が50㎏の人と80㎏の人の薬の量が同じと言うのは抵抗がある。そういった意味で分包機は超必需品なのだが、超壊れやすい物でもある。そのジレンマを解消するために病院用の調剤に使う分包機のおさがりを使い続けている。
 多くの薬局を回っている彼が初めて目撃した漢方調剤。僕らは全国に5万以上ある薬局の絶滅危惧種なのかもしれない。

 

過敏性腸症候群、うつ病のご相談は栄町ヤマト薬局まで

真顔

 1週間経ったのに引っかかる言葉があり、ウォーキングなどの時もふと頭に浮かんでくる。
 施設で働いているから余計用心をしていたのだろう、以前同居していたベトナム人二人が1年半ぶりに訪ねてきた。
 近況などを楽しく話している時に僕が「もう出世して課長くらいになっているのではないの?」と冗談半分に尋ねた。一人は笑いながら「「ないない」と答えたが、もう一人のほうが意外な答えを返してきた。「課長になることに意味がありますか?」
 真顔で答えが返ってきたので、冗談では済まなくなって「二人とも優秀だから出世しているのかと思った」と、明らかに僕は誤魔化した。と言うのは一瞬にして愚問だと悟ったのだ。それも、そういった質問が当たり前の成功の証の時代を生きてきた人間の性だと知っているからだ。ただそれが染みついてしまっているから、とっさにつまらないことを口に出してしまう。まさにその忌むべき習性を二人の前にさらしてしまったのだ。
 僕の(僕らの)考えは既に多くの若者たちが否定どころか破壊している。前時代的なリーダーがまだ君臨している場所では、そうした価値観もまだ生き残っているが、やがては淘汰され消えゆくだろう。丁度その過渡期に僕は生きていることになる。
 価値観を変えることはとても難しいが、変えなければこれからの時代を生きる人たちの足かせになる。変化に身をゆだね、自身を呪縛から解放できれば、「間に合う」かもしれない。異国の若者の真顔に教えられた。


小沢一郎氏 安倍、菅政権には「常識・良識が欠如」かつての自民党にはあった
 立憲民主党小沢一郎衆院議員が1日、ツイッターに新規投稿。安倍晋三前首相、菅義偉首相について、かつての自民党にあった「良識」が欠如していると批判した。
 小沢氏は「昔の自民党には、まだ『良識』があった」と回顧。「個別の捜査に影響を及ぼそうとしたり、法制局長官人事で憲法解釈を都合よく変えようとしたり、総理が後援会850人を政府の行事に呼んで飲み食いさせるなんてことはしなかった。超えてはならない一線があった。だが安倍・菅両氏は何の躊躇もなく一線を越えた」と両政権について指摘。
 さらに小沢氏は「国会議員は常識を持っていることが大前提。その上で憲法や歴史について基礎的なことは学んでいることが求められる。つまり三権分立を学んでいれば、権力集中が独裁を招き、人々を不幸にすることは理解できる。だが安倍氏菅総理には、この常識・良識が欠如している。だから平気で『一線』を越える」と投稿。
 また、小沢氏は「頭が腐れば、全部腐る。総理が好き勝手やれば、閣僚も官僚もみんな真似をする。総務省における接待問題はこの一例。そのうち、それに取り入ろうとするお友達が巨大な利権集団を作る。そうやって国全体の腐敗が進み、格差は拡大し、多くの国民は困窮する。政権交代以外に国の腐敗を止める方法は無い」と指摘。
 さらに小沢氏は「いま、この国に必要なのは、政治における良識の再生である。今や良識とは無縁の自民党総裁など、誰がやっても同じこと。良識を再生しないと、日本は滅びる。新型コロナで猶予はない。政権交代自民党政権の不正の全貌を一日も早く明らかにし、その中から『良識』と『民主主義』を再生するしかない」と呼びかけた。

 

 今日はこのあたりは薄曇りで、昨日までの炎天下状態は影を潜めた。駐車場に出ても、一瞬にして体温を上げさせられる熱気はない。
 昼頃、薬を取りに来た男性に「今日は畑で作業しても暑くないんじゃないの?」と尋ねると「今日は風がないから暑い」と答えた。そう、僕より少しだけ年上のその男性には「風」が存在しているのだ。ところが一日中建物の中に籠って働いている僕には「風」はない。
 「風」は彼のどこにあるのだろう。頭の中?皮膚の上?心の中?記憶の中?耳の中?自然の中で自然相手に働いている人特有の五感を僕は持っていない。明らかに感性に不備がある。
 思い返してみると、「風」を口に出す人はいた。多くが僕より年配で、多くが漁師やお百姓だ。ただ今日は否定形で言われたから「風」が意識されたが、あたかも戸外で働く人には「風」は営みの必須の条件のように思える。よい「風」もあれば悪い「風」もあり、どちらも営みに影響するのだろう。とくにクーラーなどを知らずに炎天下や凍り付く土や水の上で育ち働いて来た世代にとっては。
 そうか、やはり「風」は記憶の中で吹くのだ。

 

五輪の命軽視。弁当13万食廃棄に続き医療品・マスクまで大量廃棄!税金を無駄遣いし命も捨てる。オリンピックの化けの皮。元博報堂作家本間龍さんと一月万冊清水有高。 - YouTube

小話

 10年くらい前までは、漢方薬を飲んでいる方が時々訪ねてきてくれて泊って行っていた。
 今日注文をしてくれた女性もその中の一人で、その方は我が家ではなく、オリーブ園にある外国人宿泊所を予約していてそこに泊まった。垢抜けた女性だったが、その後は、会うことはできないが、体調などの相談を親近感をもってしてくれる。その方に今日返事をしたのが下記のメールだが、そしてまるで小話のようだが、結構言いたいことを短い言葉で表すことができていて、皆さんに読んでいただくことにした。
 同じ視点で浜矩子先生が、わかりやすく書いてくださっているので下に張り付けたが、そちらはまじめに読んでほしい。僕のはふっと笑いがこぼれたらそれで充分。所詮素人だからここどまり。

「今作りましたから今日発送します。なにかと騒がしい東京圏ですね。今思えば、あなたが宿泊したところなど、空気清浄機のようなところですね。政界にも空気清浄機があったら、もっとこの国の人間は幸せなのでしょうが。ばい菌よりも汚く、コロナより危険な人間ばかりです」


浜矩子「自民党を包み込む『バブル方式』は泡の外の常識からかけ離れている」
2021/08/31 17:00
 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

*近頃、何かとバブルという言葉を目にし、耳にする。エコノミストである筆者にとって、バブルは経済の過剰膨張がもたらすものだ。このバブルは怖い。必ず恐慌を呼び込む。
 だが、近頃はやりのバブルは別物だ。「バブル方式」のことである。パンデミック荒れ狂う中で、オリンピックとパラリンピックを強行するにあたって、採用された感染症対策だ。競技の開催エリアを泡で包むように囲い込み、外部の世界と遮断するというやり方だ。これで、感染拡大徹底防止を実現するのだという。その通りになったかどうかを巡って、疑念が湧き出している。
 こうした状況の中で、自民党総裁選の日程が決まった。今は何事もなかったように、そんなことをしている場合か。野党から、そして与党内からも、疑問と非難の声が上がっている。ごもっともだ。この非日常の中で恒例通りに事を運ぼうとしている連中は、日本列島が広範に及ぶ緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の発出下にあることを忘れ去ってしまっているのか。
 ひょっとすると、彼らこそ、バブル方式の下に身をおいているのかもしれない。そう思えてきた。自分たちと現実を遮断する泡に包み込まれて、ぬくぬくしている。泡の外でどんな怒りや嘆きや呻(うめ)きが上がっていようと、どんな糾弾の叫びが上がっていようと、専門家たちがどんな警告を発していようと。それらのいずれも、泡の中深く引きこもる彼らの耳には決して届かない。
 思えば、自民党という政党においては、長らくバブル方式が標準仕様になっていたのではないか。よくあんなことが言える。どうして、彼らとは質疑の歯車がこんなにもかみ合わないのだろう。我々がしばしばこのような思いに駆られるのは、我らと彼らがバブルの外と内に位置しているからだ。バブルの中の常識が、バブルの外の常識と全くかけ離れているからだ。
 そして、彼らを包むバブルは鉄壁だ。スポーツ競技に関するバブルは脆(もろ)さを露呈した。だが自民党政治を包み込むバブルは実に強靱(きょうじん)だ。その中にいる政治家たちは、バブルの守り方に関する「プレーブック」に実に忠実だ。身の毛がよだつ。

 よくもファイザーが下記のような研究論文を出したと思う。自分の会社に不利になることは日本なら隠す。アメリはまだこうした正義が生き残っているのか、あるいは、何かあったときの賠償金が莫大な金額になるから、前もって予防線を張ったのか。
 日本は、政治屋にとって不都合なんものは皆隠す。とくに汚部とカスのコンビの時がその頂点だ。ご法度の裏街道を歩く人間たちも真っ青の悪行の数々、打ち首獄門にいまだなっていない。
 下記の情報を大手アホコミが流すかどうか知らないが、これを知ったら社会の流れは変わる。自由を差し出してまで何を守ってきたのか、そろそろ検証しておいた方がいいと思う。同じ轍は何度でも踏むのがこの国の人たちだから。


ワクチン接種者と偽薬接種者の死亡率が同じ ファイザー公表データの意味
製造元の1つである米ファイザー社が7月28日に公表した英語の研究論文が静かに波紋を広げている。
その研究には世界各国の4万人以上が参加。ファイザー製ワクチンの2回目接種から最大6か月間に及ぶ大規模な追跡調査を行った。
 その結果、ワクチン接種によって発症を防げた人の割合を示す「有効率」は91%をマークした。通常のインフルエンザワクチンの有効率は30~50%程度とされるので、かなり高い効果があるといえる。だが多くの研究者が驚いたのは有効率ではなく、ワクチン接種後の「死亡率」だった。
 研究では、16才以上の参加者約4万人を「ワクチン接種群(約2万人)」と、正式なワクチンではない偽薬を与えた「プラセボ群(約2万人)」に分けて、接種後の安全性を確認する追跡調査も行った。その結果、管理期間中に死亡したのは、ワクチン接種群が15人、プラセボ群が14人だった。つまり、ワクチンを打っても打たなくても、死亡する確率はほとんど変わらなかったのだ。医療経済ジャーナリストの室井一辰さんがこの結果の衝撃度を語る。
「その研究はファイザーの研究者と、ワクチンを共同開発した独ビオンテック社の研究者が行ったもので、4万人を追跡調査する世界最大規模の研究です。これほどの規模の研究はほかにありません。
 意外な発見として注目されたポイントは、ワクチン接種群とプラセボ群の死亡率に差がなかったことです。実際に研究者の間ではこの結果が議論の的になっていて、“一体どういうことなんだ”と戸惑う専門家がいるほどです」
 接種によって感染は予防できていることは明らかになった。しかし、打っても打たなくても、亡くなる人の数(死亡率)が変わらないなら、接種する必要性が揺らぐ。それだけに、大きなインパクトを持つ研究結果だったといえる。

 

過敏性腸症候群、うつ病のご相談は栄町ヤマト薬局まで