2年間一緒に暮らした二人と、最後の日は荷物を新しく住むアパートに搬入してから別れたが、その時も礼を言われなかった。専門学校の学費と2年間の生活費をすべて用立てたのに。
 二人は、まったく僕には相談もなく、岡山にある外国語の専門学校に入学するために来日した。その前3年間、技能実習生として働いたときのお金を利用してやってきたのだが、その後の生活費はすべてアルバイト代任せ。と言うより、専門学校と言う名の人材派遣業みたいなもので、深夜のコンビニ弁当作りの工場にほぼ無条件で学生を派遣する、いわゆるブラック企業だ。廃墟のようなアジア人だけが暮らす学生寮に、足がないと言うので自転車を持って行ってあげたことがあるが、日本語の勉強のために来日している人間などいないことを知った。
 僕は本気で勉強するために再来日した二人をそうした境遇に置きたくなくて、アパートも見つけ、アルバイトもユニクロに採用してもらった。その後条件のいい、介護施設でアルバイトを始めたが、待遇面では足元を見られて、経営者ともめて居づらくなった。そこで滞在許可が下りなくなって、ベトナムに無念のうちに帰らなければならないと泣きながらやってきた。
 その時をよく覚えている。二人は悔し涙を流していたが、日本人に対する不信感が流させた涙だ。日本人の名誉挽回も兼ねて、その後介護の専門学校に入れるように、つてを頼り、岡山県では超有名な介護の専門学校に実験的に初めて外国人を受け入れてもらうことができた。学校も我が家から通えるようにした。
 それなのに2年間、二人が僕たちのためにしてくれたことは、台風の夜、水が家の中に入ってきて、雑巾でそれを吸い取りバケツに移す作業を深夜2時間くらいぶっ続けでしてくれたことだけだ。台風を知らない二人にはとても楽しい作業みたいだったが。ただその時はさすがに二人の存在はとてもありがたかった。
 で、最初の話に戻ると、そこまでしても家を出ていくときに一言もありがとうと言わなかったのはお国柄?と思ったのだが、その時に僕はうすうす気が付いていた。家族のような関係になり、とても照れくさくて言えなかったのだと。
 それを証明するような出来事があった。先日1年半ぶりにやってきたときに、企画しているドッグパークの設計図を見せた。そこの空いている土地に「お父さんが、死ぬための家を作りたいから、二人の介護の知恵を貸して」と頼んだ。すると一瞬にして二人の目から涙がこぼれそうになった。そしてその話題はそこで終わった。
 血は繋がっていなくても、家族のように照れ臭くなり、家族のように思いやれる。そんな真理を目の当たりに見せてもらった。

 

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