今日はこのあたりは薄曇りで、昨日までの炎天下状態は影を潜めた。駐車場に出ても、一瞬にして体温を上げさせられる熱気はない。
 昼頃、薬を取りに来た男性に「今日は畑で作業しても暑くないんじゃないの?」と尋ねると「今日は風がないから暑い」と答えた。そう、僕より少しだけ年上のその男性には「風」が存在しているのだ。ところが一日中建物の中に籠って働いている僕には「風」はない。
 「風」は彼のどこにあるのだろう。頭の中?皮膚の上?心の中?記憶の中?耳の中?自然の中で自然相手に働いている人特有の五感を僕は持っていない。明らかに感性に不備がある。
 思い返してみると、「風」を口に出す人はいた。多くが僕より年配で、多くが漁師やお百姓だ。ただ今日は否定形で言われたから「風」が意識されたが、あたかも戸外で働く人には「風」は営みの必須の条件のように思える。よい「風」もあれば悪い「風」もあり、どちらも営みに影響するのだろう。とくにクーラーなどを知らずに炎天下や凍り付く土や水の上で育ち働いて来た世代にとっては。
 そうか、やはり「風」は記憶の中で吹くのだ。

 

五輪の命軽視。弁当13万食廃棄に続き医療品・マスクまで大量廃棄!税金を無駄遣いし命も捨てる。オリンピックの化けの皮。元博報堂作家本間龍さんと一月万冊清水有高。 - YouTube