かすかに期待はしていたのだが、帰ってから考えてみれば、今時そんなものを買う人はいないだろうなと思う。実際今使っているのもいつから使っているかもわからないくらい古いのだから。そしてそれが何故今もあるのかもわからない。両親が買ったのか僕が買ったのか。ただ、今だ全く錆びずにきれいだ。ほぼ毎日使っているが、その綺麗さと便利さで、もう一つくらいあってもいいなと思って買いに行ったのだが。
その製品の名前は分からない。恐らく中学生の頃は普通に使われていたと思うのだが、当時から名前は知らない。ただしそれがあれば短くなった鉛筆でも何ら不自由なく使える。指で支えても書けなくなったくらい短くても、新品の鉛筆に劣らない。
今の時代でも100円もしないのではないか。素材は何かわからないが軽い金属だ。回転すれば口径が狭くなり、鉛筆を固定できる。
そもそも今の時代に鉛筆を使うのは高校生までか。短くなれば買い替えるだけの話で、鉛筆で倹約をしようなんてのはあまり考えないのではないか。
僕は、子供達が20数年前に使っていたものの残りや、漢方の先輩が亡くなったときに薬局を片付けに行って見つけた未使用の鉛筆などを持っていて、なるべく鉛筆で済むようなものには使っているのだが、今の使うスピードで計算すると、後100年は使えそうだ。
僕は倹約家でもないし、逆の浪費家でもない。ごくごく普通の戦後生まれの人間だ。質素と言う言葉を知らなくてもまさにそのものの生活を皆が自然にしていた時代だ。澄んだ清流に洗われる川底の石のように、多くの人が黙々と生きていた。