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 すぐ妹さんが帰ってからカルテを確かめてみると、初めてその女性が来たのは平成20年だ。最初はご本人のめまいの漢方薬を希望して来られたが、その結果がとても良かったので、以後僕の薬局を利用してくれるようになった。
 大リーグの投手になった山本選手の出身の市だから、バイパスを使ってもやって来るには30分くらいかかるが、よほど人望が厚かったのか、その後沢山の方を紹介してくれて、今ではその市の方だけでも2冊のカルテがある。
 恐らく牛窓によく似た漁師町ではないかと思うが、来てくれる人たちもとてもあっけらかんで冗談好きの方が多く、応対するのが楽しかった。僕は誰にも取り繕ったりはしないが、その地の方には特にノーガードで応対できた。
 その方には母さんがいて、当時、確か90歳に迫る年齢だったはずだ。その体質を受け継いでいるのか、ご本人はあまり不調を繰り返さずに、以後はお母さんの血管を守る漢方薬を定期的に取りに来てくれていた。その間15年。
 ところが今日妹さんが来て、その方が入浴中に亡くなったと教えてくれた。ご主人が数年前に亡くなって、生活の張りがなくなったのか、根っからの明るさは消えていたが、それでも長寿の遺伝子は受け継いでいると思っていた。僕は丁度その時漢方相談中だったので、娘を通して訃報を受け取ったのだが、死因は聞いていなかったみたいだ。心臓麻痺くらいの安楽な亡くなり方だったらいいなと思うが、詳細は分からない。
 その話には続きがあって、長寿を自慢し喜んでお世話していたお母さんが何と2日後に亡くなったらしい。100歳を優に超えていた。頭もしっかりしていたはずだから、恐らくお嬢さんが亡くなったことは理解できているはずだ。悲しみのあまり命の炎が消えてしまったのだろうか。
 亡くなられた方は僕と同じ年齢だ。入浴中に亡くなるようなことが起こり得る年齢なのだと、強引に認識させられた思いだ。その訃報を聞いてから、居心地の悪さがなかなか抜けなかったのは、恐らく同い年で、その方の老いる姿を鏡のように10数年見続けていたからだろう。
 ただ僕はこれからも、50年近く続けてきた日常を繰り返すことしかできない。後どのくらいそれを繰り返すことが出来るのか分からないが、僕にはまだまだたくさんの「その女性」や「その男性」がいる。幸せを共有したい「その人たち」がいる。

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