1億の人間が暮らす中で不思議な縁を、送られてきた写真を見ながら感じた。  まるで落ち武者のように大学を出て牛窓に帰ってきたが、それでも日々新鮮な出会いには事欠かなかった。職業柄当然だし、当時の薬局は雑多な買い物客で1日中賑わっていたから。今でこそ扱いはないが当時は、雑貨やベビー用品、化粧品、ドリンク剤などが主流だったから、それこそ色々な世代の人が来てくれて応対するのも楽しかった。薬の知識もたいしてなかったから来てくれる人に深刻さはなく気持ちも楽だった。 漢方薬を勉強するようになって、僕の薬局から化粧品が消え、ベビー用品が消え、雑貨が消え、ドリンク剤が消えていった。残ったのは個性的なOTC医薬品と漢方薬だけだ。訪ねてきてくれる人の風景も一転して、何かしら不調や苦痛を抱えている人ばかりになった。それらによって生活の質を下げている人がほとんどになった。それでも尚幸せな人も多く、それだからこそ不幸な人もいた。  今では顔も知らない人の薬を作ることも多い。代理で来てくれた人の説明や電話での声、あるいは文章などから、不調の解決方法を探る。人格の一端は結構それらでうかがい知れることもある。ところが風貌となるとこれはかなり想像するのが難しい。と言うより不可能に近いから想像もしない。だから僕にとっては、その人達は顔のない人格なのだ。それは不思議な光景でもある。もう友人のような関係になっているのに、顔だけが分からない。その人を象徴するはずの顔がない。そしてその顔のないことに僕自身が慣れきっている。恐らく一昔前なら、その事にかなりの違和感を感じていたはずだ。会話するときにこちらの目を見ない人にさえ違和感を感じていたのだから。  降って湧いたその顔に僕はとても体温を感じた。勿論パソコンの画面に現れた顔だから体温など感じるわけはないが、僕はその方が初めて僕の中で完成した人格になった。僕には出来ないが、恐らく簡単な操作で写真は送ることが出来るのだろう。その簡単な操作で一人の女性が僕の心の中で体温を持った。  自然な微笑みをたたえていた。この微笑みこそ、僕がお世話した方々が行き着いて欲しい表情だ。何の力みもなく穏やかにカメラの方を見ている。見知らぬ街を無数の人が行き交う中で幸せと呼ぶべき光景が僕のコーヒーカップの中で揺れる。