憎っき草の代表にドッグランを作ってから悩まされている。見た目がヒトデみたいで、結構目につくくらい点在するので、そしてなにより「抜けない」ので、もう手に負えないというのが現状だ。
 余程雨上がりで、土の中に水を含んでいないと、手で抜けたりしない。根が結構太くて、垂直に土中深く伸びている。うまく抜けた時には、白いニンジンのように見える。
 その憎っくき敵に、名前があるとは知らなかった。例の牧野富太郎が名付けたのだろうか、名前なんかやらないで欲しいと言うくらい困っている。
 近所で大型犬を2匹飼っていて、草刈りなどを自発的にしてくれる女性はめっぽう草花に詳しい。昨日その女性が犬を遊ばせに来た時に、フェンスの中から「アザミがいっぱい生えてますね」と言った。僕は何のことを言っているのか分からなかったから「ヒトデみたいな気持ち悪い草がいっぱい出てきました」と言った。女性が「これではないですか?」と言って指さしたのが、僕の大嫌いな草だった。
 「アザミって名前ですか?」と答えたが、なんだか名前がついていることが嫌だった。あれだけ迷惑なものにちゃんと名前がついていることが不愉快だったのだ。
 ただ、アザミって聞いたことがある。草の名前だとは知らなかったが初耳ではない。そこでインターネットで調べてみると、刃型の葉っぱの特徴などとともに、愛らしい花も掲載されていた。これは驚きだった。アザミの花を愛でる人がいたんだと、衝撃だった。花の写真は確かにきれいかもしれないが、花から下の姿は決してきれいなものではない。記事によると花言葉が沢山あり、独立 報復 守護 満足 触れないで 人間嫌い 厳格だそうだ。
 なるほどこの花言葉を見ただけで僕にはわかった。要は賛否両論なのだ。積極的に評価しているのと、否定しているのが花言葉に混在している。きっと僕みたいな人間が古くからいて、苦手だったんだと思う。人間嫌いではなく、僕に言わせれば「葉っぱ嫌い」だ。砂浜に打ち上げられたヒトデの死骸を美しくは見えないように、海の子には陸のヒトデも同じように見える。
 それにしても僕は「アザミ」と言う言葉を一体いつ頃耳にしたのだろうと、またまたインターネットで調べてみると、1949年に発表された歌謡曲の歌詞に出ていた。僕はまだ生まれていない。その後歌い続けられるような歌だったのだろうか。今日は、高嶺の百合より、地を這うアザミの方にシンパシーを感じる詩人の感性に及ばない粗暴を露呈してしまったが、「嫌なものは嫌じゃ」

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