硬骨

 僕には長年のコンプレックスがある。例えば今回の能登地震もその典型だが、悲惨さはある程度想像でき、気の毒に思う心はあるが、ある人たちのように積極的な行動に移せない。たかだか教会の募金箱に少しばかりのお金を入れるくらいで、それ以上のことはしたことがない。被災地が遠いからと言う言い逃れは出来ない。西日本豪雨の被災地の真備など、和太鼓のコンサートで行く距離だ。行けない理由など一切ないが、行く理由も自分の中で作り出せない。
 国内の災害でさえこの程度の感情移入しかできないのだから、国際的な紛争となるといわんやをやだ。白人同士のウクライナより心を傷めるのはガザでの虐殺だ。ただそれだからと言って何かをしているわけではない。災害にしても紛争にしても多くの情報を集め、自身に置き換えて身を守る手段を研究しているようなものだ。いわば人の不幸に乗じて自身を守っているだけなのだ。
 こうした中、今朝の毎日新聞に作家の高村薫の文章が載っていた。その中で僕を救ってくれた文章が「いくら災禍に苦しむ人に気持ちを重ね合おうとしても、当事者と一体化することはできない。苦く残酷な現実を直視すべきだ」と言うものだった。硬骨の社会派といわれ、目に触れたエッセイで考えさせられなかったものはないと言うくらい上質の文章を書く人でも、「そうなのか」と都合の良い同化で慰められた。
 「地上には爆弾が落とされ、砲撃され、人が死んでいる事実は理解するけれど、それが『私』の体を通した実感にはならない。そういう状況に当面は身を置きながら、私たちは戦争について考えるほかありません」
 「現代は「理性的に振る舞いたくても、振る舞えない。理性があればあるほど、途方に暮れるんです」
ウクライナの前線の橋頭保がどうの、侵攻ルートがどうなの、なんて話は私たち素人が知らなければならない情報ではありません。今、考えるべきことは、世界がこの軍事侵攻を止められなかった事実。そして、これからもなかなか止められないという事実なんですから」

【山本太郎】地震復興なんて後回し。結局こいつらは金持ち・資本家に金を流したいだけ【れいわ新選組】#山本太郎 #れいわ新選組 #れいわを与党に#れいわ #消費税 #消費税廃止 #維新 - YouTube