奇跡

 これを奇遇とは言わないだろう。恐らく奇跡と呼んでもいいのではないか。
 牛窓海水浴場の砂浜で、砂粒の二つが無数の組み合わせの中で隣り合わせるのと確率的には何ら変わりないだろう。宝くじで1等が当たる確率にも匹敵するだろうが、これをもって多くの人が、夢ではなく期待を込めて買ってしまう。
 兵庫県立フラワーセンターでバラを見ること1時間。ランの温室も見ごたえがあるので、自撮りに夢中のベトナム人達を急かして、人があまり通らないスペースを通り抜けようとしていたら、不意に大きな声で「お父さん」と呼ばれ肩をたたかれた。振り返るとなんと、2年間我が家でともに過ごした〇〇ちゃんがびっくりしたような顔で僕を見ていた。勿論僕もびっくりした。どうしたのと僕が尋ねる前に、どうしてそこに立ち寄ったかを説明してくれた。ほとんど来る予定もなかった、むしろ名前も知らなかったところなのに、ある偶然できてしまったこと。そして結構遠くから僕を見つけたことなどを話してくれた。確かに兵庫県のある町で前日過ごし、帰路時間が余ったから偶然立ち寄っただけみたいだ。人が余り通らないスペースに何故視線を送ったかなどからして、この奇跡を作り出した要素は無限にある。あの時こうしていなかったらなどの仮定は無限だ。
 1年前にベトナムから呼び寄せた妹に初めて今日会った。日本の生活に馴染めないと1月前に遊びに来た時に〇〇ちゃんが心配して僕に相談した。今日の偶然が初めて会う機会になった。なるほどシャイな感じはしたが、30分くらい一緒に歩いていると、だんだん笑顔が出てきた。1年でこんなに日本語が話せるんだと感心した。
 実は今日フラワーセンターを訪れたのは、邑久工場の一人が、よその会社に移るための僕なりのお別れ会だったのだが、去る人がいてくる人がいて、僕の周りで新陳代謝が進んでいる。もはや代謝もおぼつかない僕の周りで、人の新陳代謝だけが繰り返されるのが何とも皮肉なものだ。

加川良「伝道」星空編 - YouTube