特権

 やはり通訳がいないとこんなことは起こってしまう。
 いまベトナム人の寮に行ってきた。牛窓工場が廃止され、ほとんどの人は帰国したが、数人だけ他所の工場に移る。明日の日曜日を利用して引越しをするから、その前夜に当たる今日、寮でお別れ会をするから来てと頼まれていた・・・筈だったが、今行ってみると真っ暗だった。いつもなら電気代を倹約しろと言いたいくらいこうこうと明かりがついていたが、今日は全くの暗闇。
 僕は車を降りることなく、日を間違ったことを悟った。ただし、僕が間違ったのか、向こうが間違ったのかは定かではない。何しろ通訳が帰国してからは、ほとんど身振り手振りの、初めて会った原始人同士みたいなものだ。スマフォで転換できるみたいだが、精度には随分と裏切られてきたので、向こうもこちらもないよりはまし程度だ。
 最後のお別れでないことが救いだが、彼女たちは区切りをつけたかったのだろう。お別れ会の用意をどの程度頑張ってくれたのか分からないが、ただでさえ食べきれないほどのご馳走を作る国の方だから、溢れんばかりのフルーツを用意してくれていたに違いない。
 20年近く親しく優しくしてくれた人たちがこの牛窓からいなくなった。僕がまだ活動的であれた年齢だったのが幸いして、多くの体験を共有できた。彼女たちの人生に貢献できたとは思わないが、自叙伝の1ページくらいは素材を与えられたかもしれない。明かりのつかない寮の前を車で通るごとに、僕の記憶からも消えていくだろう。それでいいと思う。何も残さなくていい気楽さこそが、庶民の特権なのだから。

 

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