臨機応変

 ある方のお母さんの漢方薬を作っているが、作っている僕も、依頼者も、実際には何の漢方薬を作っているのか、作っていいのかわかっていない。臨機応変、この言葉に尽きる。
 今日の依頼は、テレビの故障にまつわる話。実は故障ではなく、機種についていけなかっただけのこと。数か月前に、我が家の粗末なテレビを憐れんで税理士の先生から頂いた、大きな古いテレビが正にそれだった。と言うのは、それまで使っていたテレビはノートパソコンを開いたくらいの大きさで、スイッチを入れるとすぐに画面が出てきていた。ところが頂いたテレビは巨大だが、画面が出て来るのにずいぶんと時間を要する。だからスイッチが入っていないのだと勘違いして何回も押してしまう。数か月たった今でも時にそうした無駄なことをやってしまう。すぐに映像は出てくるものと刷り込まれている頭から完全には逃れられていなくて、僕の頭の中のスイッチが実際には故障してる。
 依頼者のお母さんは、お嬢さんがお仕事に出ている間、一人で待っている。当然時間つぶしにテレビも見るだろう。そこでまさに僕と同じことをしたわけだ。僕と違うところは、修理を電気屋さんに依頼したこと。ただし、故障は見つからなかった。それはそうだろう、スイッチを入れて点かないからもう一度スイッチを押すのだ。と言うことは、つけては消す、つけては消すで、永遠につかないということだ。結局修理依頼をお嬢さんが帰ってくるまでに6回したそうだ。そして7回目の時についに、お嬢さんも帰宅していたから二人に向かって電気屋さんが「こんなことをしてくれたら迷惑だ」と言われたらしい。
 怒られたお母さんはえらく落ち込んでいるという。
 「さて、今日は、どうすればいい?」
 テレビのスイッチの機序は理解できなくても、電気屋さんに修理を依頼することはできる。このギャップ(まだらボケ)のお世話?電気屋さんに叱られて落ち込んでいるのを何とか解放してあげること?前線が近づくと体中が痛くて正気を失うこと?
 話相手のいない孤独の時間に耐え、肉体の衰えに対峙し、家族の負担に遠慮し精神をまともに維持できなくても不思議ではない。親も元気、子も元気。そんな恵まれた歳月は永遠に続くものではない。運が悪ければいつも誰かが苦しんでいた。そうした家族もありうる。
 作っている僕も、依頼者も今日は「叱られて落ち込んでいるお母さんを解放
」で一致した。当然その手の漢方薬を1週間分作ったが、お嬢さんととりとめのない話を10分くらいした。お嬢さんもつらいに決まっているから。

 

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