昔はこんなことも、何の抵抗もなくできていたのだと、今回は昔と逆の解体作業で、同じ道具を使った。かつては右回転、今日は左回転だ。ひょっとしたら30年くらい前に作ったもののような気がする。
 決して豊かな時代に育ってはいないので、まして5人兄弟と言う子だくさんだったため、質素倹約は当たり前のように身についている。戦後まもなく生まれた世代は、誰もがそうであったように、工夫は必須だった。
 薬局に帰ってからも工夫の連続だった。新しいものを買うと言う選択肢はなく、あるもので勝負だった。そのうち少しは欲しいものをそろえることもできるようになったが、既製品は高いから、板などを買ってきては、棚を自分で作るようになった。ホームセンターと言う業種が生まれたおかげで、そうしたことが容易にできるようになった。
 今日解体した棚は、僕が作った最初のものだ。穴を開けたり、長いネジで板を留めたりと、不器用な僕は錐やねじ回しではできないが、当時大工道具も電動式のものが作られるようになり、誰もが簡単なものは作れるようになっていた。
 薬の陳列に何年使っただろうか。娘たちが帰ってくるまで使ったと思う。娘は、感性が非常に劣っている僕のレイアウトなどをことごとく斬新なものに変えていったから、当然その棚はお払い箱だ。もったいないから2階の台所で食器棚として使い、その後リビングで本箱に、そして最終は、駐車場で物置棚として風雨にさらした。
 棚板は雨でしわり、カビが生え、化粧板もはげた。見るも無残な姿になり、今日やっとあきらめることができ解体した。長い奉公だったが、使い切った満足感はある。
 さすがに使えるものを捨てるのには罪悪感があるが、ここまで使い切れば許容範囲だ。贅沢な断捨離ではなく、物の命も全うさせる断捨離に励みたいと思っているが、その第一は、「持たないこと」に限る。

 

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