年賀状

 お昼ごろ郵便受けを見てみると、年賀状が2通入っていた。コロナで年賀状も分散配達されるのかと一瞬本気で考えた。しかしその年賀状の宛名を見てみると2人の良く知っている患者さんの名前だった。これは僕の薬局が出した年賀状だ。
 僕自身は年賀状を大学のころから書かないことに決めているから、妻が薬局名義の年賀状を出す。この2通の方も僕の薬局をしばしば利用してくれている人だ。偶然だが2通とも僕の薬局から、数百メートルくらいのところに住んでいる方宛のものだ。年賀状をポストに入れなくても直接届けてもいいようなところだ。それがなぜか受取人住所不明で返されてきた。なぜだろうとよく見てみると番地を印刷していないのだ。この辺りの人間なら番地など分からなくても家は分かる。まして郵便局の配達員だったらなおさらだろう。
 最近は郵便局の職員も、地元の人が少ない。下手をしたらよその町から通勤している人がほとんどだ。だから牛窓町牛窓までは分かるが、その次の紺浦は分からないみたいだ。子供でも分かる字名では配達してくれないのか、番地がないものだけが返却されていた。あるいはそれを理由に面倒だから帰してしまえと少しの努力を怠ったかだ。
 昔は郵便局員は地元の人がほとんどだったから親しく、貯金も保険も皆郵便局だった。義理で入らされた保険や貯金が大いに人生で役立った。何時間も薬局で無駄話をするような営業?だったが、大いに助かったものだ。
 汚泉が郵政を民営化して、誰がどのように利権をむさぼったのか分からないが、竹中屁ぞうなどと言う悪人の懐を肥やしたのだろう。見え透いた番地不記載のはがきの返却などと、姑息なことを下々までするようになった。上が腐れば下も腐る。営業の年賀状ももう止め時なのかもしれない。