機械

 僕の使っている機械が古いのか(実際にもう10年は使っていると思う)漢方薬が重いのか、自動分包機のはずなのに、分包されて出てくる薬を支えていないと、焼きがいまいちになりこぼれてしまう。そのためにスイッチを入れスタートするやいなや、しゃがみ込んで、カチャカチャと送り出されてくる薬を支えてやる。
 今日その姿勢の時に、正面に妻が立って偶然視線が合った。僕の不調を知っているから心配してみていたのか、憐れんでみていたのか知らないが「結構つらいものがある」と思わず僕の口から出てしまった。
 今回の不調を契機にしばしば僕の頭に浮かぶ言葉がある。「老いと戦っている人間が、若くて元気な若者の不調の世話をする」
 10メートルも走れば息が切れ、缶ビール一箱を買って持てば腰が痛くなり、わずか1メートルくらいしかない溝も飛び越えられない、そんな人間が、何百メートルでも走れ、米俵でも持ち上げ、塀を乗り越えていくことすらできる若者の不調を治す手伝いをする。何十倍も、いや何百倍も元気だと思える若者の世話をする。何たる皮肉だろうと思ってしまう。
 老いと病気は違うが表面的には同じようなものだ。不自由さには変わりない。不自由の象徴みたいな人間が、いずれ近いうちに元気になる権利を持っている人間の手助けをする。今から僕のようにならないでと、僕が言う。その僕が薬を作る。