天敵

 20年もほとんど同じ薬を飲んでいる老人が、薬を止めないといけないから先生に頼んで薬の量を少し減らしてもらったと言う。なるほど処方箋を見ると微妙に減っている。でも僕はそんな努力はもうしなくていいと感じている。だから当人に、「今更そんな努力をしなくてもいいのではないの。これだけ長年飲んできて、そんなに元気なんだから、今更副作用なんて考える必要はないよ。今の体調の良さを楽しめばいいんじゃない」と答えた。例によって数種類の安定剤を飲んでいる人だが、今まで何度も薬の量を減らすことに挑戦して、そのたびに返り討ちにあっている。若い時ならその努力は価値があるが、80をかなり回って今更そんな努力をする必要を感じない。それよりも以前のように又減量によるしっぺ返しで不調になり、身体中の不快症状を訴える方が辛かろう。これから先がない人が、これから先ばかりの人と同じことをする必要はない。  この人もそうだが、長年病院通いしている人のほとんどは、僕に言わせれば元気な人達だ。薬を一杯飲んではいるが、買い物にも出かけ、美味しいものを食べ、コーヒーや酒を楽しみ、パチンコにも行き、旅行などは年中行事だ。暴飲暴食は日常で、スポーツもする。これで病人だから国の財政は破綻する。死に病や事故の後遺症、難病の人を除けば、後進国だったら元気な人だ。元気な人の不摂生に税金を湯水の如く注ぐのだから、若い人の将来の経済的な社会基盤が失われるのも無理はない。もうこうなれば若者の天敵は、マムシでもなければワシでもなく、ワニでもなくライオンでもなく年寄りだ。  僕の先生が言われたように「食べれて、出せれて、眠れれば元気」しばしばこの言葉が必要な場面に最近出くわす。単純な言葉だが、僕らの職業にとっては奥深い言葉だ。