生活

 後部座席から運転中の僕のTシャツの袖のあたりを何度も触る。触ると言うより、生地と生地をすり合わせているみたいだ。ベトナム語で何か言い合ったのち日本語がわかる女性が言った言葉は「オトウサン コノフク ナンネンデスカ?」だった。
 もうそれ以上言わなくてもわかる。よれよれのTシャツが気になるのだ。ただし、そのTシャツは僕が真夏に着れる二つの中の片方で、まだ結構しっかりしていて重宝している。部落の祭りのために支給されたもので、だんじりのロゴが入っているが、誰もわからないだろう。橙色が好きではないが、着れるものは何でも着る。
 このことからわかるように、僕が衣服を捨てる基準は、Tシャツなら破れるか擦り切れて肌が見えるようになってから。そのどちらかの基準を満たさないと捨てられない。甥や息子がくれたものに加えて、最近はベトナム人が国に帰る時のお礼としてTシャツをくれることが多いから、たまる一方だ。残念ながら、この夏は1つもお払い箱にはできないみたいだ。候補はあったのだが、結構この夏は、木綿生地以外の僕の苦手な化学繊維を含んだものにも挑戦したから、極端に傷んだものが現れなかった。もっとも直接、純木綿以外は肌にあてられないから、昔懐かしい木綿のシャツを下に着ていたが、暑かったこと暑かったこと。着古すために熱中症になりそうだった。
 できるだけ後の世代に迷惑をかけたくないから、物は最小限と言うのが僕の生き方なのだが、多くの方の好意によってそれがますます難しくなる。下着も服もズボンもすべて2つ。そんな生活がしたい。