収集日

 今日は月に2回の空き缶の収集日だ。ごみ捨ては僕の仕事だから、そしてごみが残っているのには耐えられないタイプだから、結構気を使って準備する。ところが今日は捨てるべき缶が一つもない。我が家で缶と言えば、一番多いのがコーヒー。いや、ほぼコーヒーだ。数か月に一度ビール。日曜日の夜11時から韓流ドラマが始まればジュースみたいなお酒。
 この2週間、缶コーヒーも何も飲んでいないと言うことになる。缶コーヒーは出先で眠気覚ましで飲むのがほとんどだから、この2週間出かけていないと言うことにもなる。僕も妻もと言うことだ。
 コロナがもたらしたものの中によいものもある。汚部がいざと言うときに何の役にも立たないどころか、この期に及んでまだ自分を守るためだけに国の金や疫人を使うことが露呈したこともあるが、この世はいらないものばかりで溢れているってこともわかった。いらない職業もいっぱいだってこともわかった。人手不足などではなく、いらない職業に人手を取られているだけなのだ。どうしてこんな職業にまで補助金を出さなければならないのかと不愉快でたまらない人は多いのではないかと思う。何の社会的な貢献もなく、御法度の裏街道の世界ではないかと思うようなものにまでに補助金が行く。外国から来ている出稼ぎにも同じことがいえる。低賃金でこき使う汚部のお友達の会社が困るから僕らの税金を横流ししているのだ。国の予算かと言うくらい会社に金をため込んでいるのだから、自分たちの金を吐き出させればいい。企業にとっては痛くもかゆくもない金目だ。それをしなくて僕らの税金をかすめ取る。
 缶コーヒー1杯も飲まない生活は、缶コーヒー1杯も飲めなかった生活を思い起こさせる。金がなくて体は傷んだが、溢れんばかりの自由があった。朝から晩まで大好きな先輩や後輩と一緒に過ごした。何も生産しない、だけど何も消費しない、コロナが僕の帰りたいところを思い出させてくれた。