歓喜の唄

 口に出してみるものだ。
 総社市で今日行われた第九のコンサートは、チケットが1000円だから、僕でも大判振る舞いができる。チケットを買った10月には、まだ来日していない5人がコンサートに行くかどうか分からなかったが、チケットが足らないより余る方が良いと思って取り合えず10枚買った。1年前に来日した数人が去年行かなかったのでその分も含めて買ったのだ。すると来日した5人のうち1人が行かないと言い、去年行かなかった人も今年もまた何人かが行かないと言った。結局1枚が残ってしまったのだ。もったいないなと僕がつぶやいたのを聞いていた通訳が、会社で日本語教師として毎週授業を行っている日本人(先生)を誘うと言った。電車を乗り継いで9人のベトナム人を総社まで連れて行く予定だったが、先生が4人を乗せれるから、2台で行くことになった。
 せっかく車で行くのだから、コンサートだけではもったいないので、途中吉備津神社備中国分寺に寄った。僕が総社でのコンサートに行く時によく案内するところだ。神社とお寺を一挙に紹介できる。そしてどちらも立派なもので魅力的だ。ベトナム人もとても喜ぶ。いつものように写真とりまくりの時間だから、時々先生とも話した。そして今日訪れた2箇所が初めてで、とても喜んでくださったので、「先生は何か宗教を持っていますか?」と尋ねてみた。宗教的には支離滅裂な案内をしている自分へのいい訳みたいな質問だったが、「私はクリスチャンです」と言う返事が返ってきた。これには驚いた。「僕もそうです」と答えるとびっくりしたように「プロテスタントですか?」と何故かプロテスタントがでてきた。ひょっとしたら信者の数がプロテスタントのほうが多いのかもしれないが詳しくは知らない。「いいえカトリックです」と答えると、その奇遇を歓んでくれた。そしてまたまた奇遇なのだが、先生がお世話になった今は亡き神父様が、僕の妻がとても尊敬し信頼していた神父様なのだ。実はもう一つ嬉しいことを言ってもらえた。僕が所属している玉野教会にいつか行ってみたいと思っていたらしいのだ。その理由は、玉野教会でのお説教で僕をクリスチャンの洗礼を受けさせるほど影響を与えた韓国人の神父様を尊敬していたみたいだ。何と言う奇遇の連続なのだろう。
 10数年前にベトナム人の世話するようになった理由が「ワタシノオカアサン ガンデ シンダ。ワタシイッパイ バナナタベサセテアゲタ(薬の代わり)」と言う話を聞いてからだ。その時から今まで僕はベトナム人に何も求めたことはない。出来ることは何でもやってあげると言うスタンスを取っている。だけど時にそうした行為が、こうした形になって帰ってくることがある。先生がかつて尊敬した神父様が熱心に尽くされた玉野教会を訪ねるきっかけになることができた。まさに第九の「歓喜の唄」が備中国分寺五重塔の下で聞こえてきそうだった。