役回り

 消去法も何もあったものではない、結局何も残らずテレビのスイッチを消してしまうことが最近とみに増えた。
 昔からの習慣で、食事の時にはテレビをつける。原則としてニュースを見るためだが、なかなかその時間に休憩を取れないから、空振りのときも多い。次善の策としてワイドショーだが、ワイドシーの中身でも、なるべくニュース性のあるものしか興味がない。ところがこのワイドショーなる物の低劣さにうんざりしているのだ。政権寄りのくだらない人間が出ることも多いし、汚部とずぶずぶの汚し本の芸NO人がやたらでまくる。NHKも含めて民放のどのチャンネルでも遭遇してしまう。僕は汚部を筆頭に、汚部と会食をしている評論家達、汚し本の芸人などが画面に顔を見せれば瞬殺でチャンネルを変えるのだが、変えた先でも又遭遇するから、結局はスイッチを切ることになる。最高にくだらないものから消していって、結局どこのチャンネルも見るに耐えないものばかりで、何も見ないほうが心身ともに健やかと言うなんとも皮肉な状態を経験する。
 我が家にラジオがあるのかどうか知らないが、もうそうした手段しか残っていないのかもしれない。若者のようにスマフォを操作しながら食事をするようなことはしたくないから、手元にパソコンを置いておくようなことはできないが、ラジオならひょっとしたら遭遇したくない汚い人間と会う回数は減るかもしれない。
 それにしても汚い人間が増えた。汚部が結果的に増やしたのか、増えていたから出て来れたのか知らないが、もっともっと庶民は生き辛くなるだろう。何もせずにニヒルを気取った長年の付けをいずれ、いやもうすでに貧困と言う名で払わされている。誰が助けてくれると思っているのだろう。貧乏人が大金持ちを養うような倒錯した社会を壊すべきだろう。人の良さで無知を隠す役回りはもう通用しない。