山本太郎

 寝る前の僕のルーティンが最近変わった。数ヶ月間、必ずエイサーの演奏を聴いてその日を終えていたのだが、ある頃から急に入れ替わった。それは友人の鍼の先生がメールで送ってくれた山本太郎率いるれいわ新撰組の動画を見てからだ。山本太郎自身は小沢一郎と同じ党派に属していて評価していたが、最初に見た動画の選挙演説が余りにも強烈な印象だったを残したので、以来ユーチューブ上でおっかけをしている。
 特にこのところ全国ツアーに出ているから毎日新しい動画がアップされる。全国ツアーなどと銘打つところが元俳優だが、肩肘張らないのがいい。内容をかいつまんでここで書くようなことは能力的にもできないから是非ユーチューブで彼の演説を聴いてほしい。40年を経て、かつての青年だった頃の僕ら世代と共感するところが満載だ。僕ら世代が転向することなく当時の正義感(形態は変化するだろうが)を持ち続けていたら汚部が政治の舞台にいることなど許すはずはなかっただろう。ただ、多くの当時の青年が、経済や社会的な立場に恵まれるようになって、自由とか平等とかを標榜しなくなっているのだろう。多くを得た人間にとって、他者の自由や平等は自分を返り討ちに合わせる道具になりかねないのだ。自分は自由と平等を得、他者には不自由と不平等を強いる、困ったものだが、人間の性か。
 当時の僕を含めた青年達は極限まで生活費を切り詰めて暮らしていた。ただ運のいいことにほとんどの人がそうだったから、置いていかれた感覚はなかった。皆がごく普通に貧乏だったのだ。ところが今は違う。山本太郎が数字で表すように、貧困はそこかしこで巣食い、珍しくはない。すれ違う半分以上の人は生活が苦しいと訴える人々で、極端な貧乏を装わないから人ごみに紛れてしまう。哀しいことに彼らは不遇を口にしない。政治屋のせいにでもすれば世の中変わるエネルギーになるのに、なされるがままだから状況は変わらない。いやますます政治を牛耳ることができる階層の人間達に家畜化されていく。そのとばっちりはかすかに抵抗を続ける人たちにも及んで、歯がゆさの中でもだえる。
 山本太郎の演説を聞いて溜飲が下がるわけではない。ただ彼のやっていこうとすることは実現の可能性を含んでいる。まだまだ立ち上げたばかりだが、多くの貧困層の心をつかめば汚部一味を抹殺できる。多くの悪行で訴追もできる。山本太郎曰く、たった3割の人をまとめれば政権を取れる。生活が苦しい人が6割近くもいるのだからそれは実現可能だ。皮肉にもこの国を救うのは、貧困状態、あるいはその辺縁部の人たちだ。