自尊心

 自尊心が高い人は、互いを支え合うような深い友人関係を築くことができる可能性のあることが、米テキサス大学オースティン校のMichelle Harris氏らの研究で示された。同氏らは、逆もまた然りで、社会的なつながりが強い人は自尊心がより高まるとも言えるとしている。
 分析の結果、年齢や性別にかかわらず、社会との結びつきが強く、社会に受け入れられていると感じている人は、自尊心が高いことが分かった。また、自尊心が高い人ほど、対人関係は良好で、社会的に受け入れられていると感じる割合が高かった。一方、自尊心が低い人は社会なつながりをうまく築けず、また、深い友情を築けない人は自尊心が低い傾向がみられたという。
 今回の研究について、Harris氏は「社会的なつながりは個人の自尊心の発達に影響するのか否か、その逆はあるのか、そして影響するならばどの程度のものなのか、といった重要な疑問に対して、初めて体系的な回答が得られた」と説明。「自尊心と友情は互いに補強し合う関係にあることが明らかになった」と述べている。
 また、Harris氏らは「自尊心と社会的なつながりとの関係は、幼少期の育てられ方が根本原因である可能性がある」と推測。その上で、同氏らは「親が子どもの自尊心を育てられれば、子どもは思春期に健全な友人関係を築くことができ、青年期には自尊心を高めることができるのではないか」との見方を示している。

 今日入った多くの情報の中で見つけた一文だ。自尊心と言う言葉を日常使うときにはなんだか否定的なイメージがあって、余り持ちすぎてはいけないもののように思っていた。自己肯定が過ぎて、他社を蔑視したりするときに使われたりするからだろうか。あるいは、何か行動するときにブレーキや障害になったりするからだろうか。ところが上記の研究結果ではとても大切なもので、とても大切なツールらしい。そこそこの自尊心はみなが持つべきもの、備わっているものらしい。特に青春前期には自尊心の固まりかと思えて、それが自分を縛りすぎて苦痛極まりなかったが、そしてそれを捨てることこそ自身の解放だと思って行動してきたが、随分と無駄なことをしてきたものだ。ただしそれは意図的に捨てれるものではないからまだまだ十分残っている。もうこれ以上は捨てなくてもよいわけだ。もっともそうした生き方の工夫で、左右両極端にぶれずに済んだメリットもあった。もう力んで暮らす年齢でもないから、今日の教訓をありがたく頂いてこれからを過ごそうと思った。

ちなみに、心理学的な自尊心の説明は以下のようだ。

一般的には、他人から干渉されず他者から受け入れられ、自分を高く評価しようとする感情ないし態度のことであるが、心理学ではself-esteemの訳語として用いられ、自己評価、自己価値、自己尊重、自尊感情などの訳語も使われている。たいていの人は、自分が他人から受け入れられ、また自分の存在を価値あるものとして肯定したい願望を意識的、無意識的にもっている。これが自尊心にほかならないが、その起源は、ほとんどの両親が自分の子供に与える好意的評価のうちにあるとみなされる。子供たちは、こうした価値づけを全面的あるいは部分的に受け入れ、それ以後の経験と評価をそれに一致させようとするわけである。したがって、幼少時に両親が子供に頻繁に否定的な評価を与えれば、子供は自分自身に対するこの見方をのちのちまで受け入れてしまい、自分をだめな人間と決め込んでしまう自尊心の低い者になる場合も生じる。[辻 正三]

国語辞典だと

①  自分を優秀な者だと思う気持ち。尊大に構える心。プライド。 「 -が強い」
②  自分の品位を保とうとする心。プライド。 「そんなことは-が許さない」

味気な!