収穫

 瓢箪から駒?何でも頼まれればやってあげるものだ。
 瀬戸内の海岸線で育ち暮らしているから、北へ向かうのには若干の抵抗がある。山が険しい。川沿いの転落しそうな道を通る。がけ崩れをしそうな切り立った崖の下を通るなどなどだ。特に近道をした時などに、その懸念が現実になりやすい。
 今日の吉備中央町へのドライブもその懸念があった。グーグルの地図で前もって調べたのだが、途中の山深いところで何度も道が消える。いったい消えた部分はどのようになっているのだろうと思いながら意を決して今日はその道を選択した。案の定、いたるところで大木が頭上に覆いかぶさり、道路を地図から消した犯人だと分かる。運よく今日は小雨ですんだから、恐怖心を抱くことなく曲がりくねった道を進んだが、帰国にあたり、吉備中央町の寮に住む友人を訪ねたいと希望したベトナム人達を車に酔わすことはできないから、いつも以上にゆっくり運転した。
 そしてある場所に来たときに、一人の女性が歓喜の声を上げた。2度目の来日の彼女はかつて吉備中央町の会社で働いていたのだが、当時まさにその場所に自転車で2時間かけてやってきていたらしい。車を止めて降りてみると川に赤い橋が架かっていて、その下を勢いよく水が流れていた。看板が目に付きそこが宇甘渓であることを知った。名前だけは紅葉の名所として知っていたが、ここがかの有名な紅葉スポットかと、ちょっと得した気分になった。別に紅葉を見て感動する僕ではないが、紅葉を見て感動するベトナム人を見て感動するから、道中を含めて知識をインプットした収穫は大きい。確かにこの風景が紅葉したらと期待させるだけのものはあった。
 もし自分の体調を優先して断っていたら、もし安全な道を選んでいたら、今日の想定外の収穫はない。ただ喜んでもらえれば嬉しい、そんな単純な動機が、時に大きな気づきや感動をもたらしてくれる。だからやめれない。だからやめない。