身軽

この歳になろうがなるまいが、基本的には儀式と言うものが苦手だから誕生祝は勘弁してもらいたい。ところが数年前に何かの拍子に誕生日がバレて、毎年ベトナム人たちが祝いをしてくれるようになった。今年は、第1寮と第2寮が別々にパーティーを開いてくれたから、2日間に渡って苦手な時間を耐えた。
 ベトナム人にとって誕生日はとても大切なものだそうで、盛大に祝うそうだ。その片鱗が飾り付けに現れていて、いったい何時から用意したのだと気の毒に思うほど舞台装置が華やかだった。いつの間に買い揃えたのだろうと思うような小道具がいっぱいあった。写真を撮るためだろうが、多くの恥ずかしいポーズをさせられそうになるのを逃げまくった。
 僕がベトナム料理を食べられないのを知っているから、出されたのは白十字のケーキと果物だったが、それもまた気の毒になるくらい豪華だった。そしてプレゼントなのだが、まさか欲しいのはズボンとは言えないから、今年もまたなすがままに任せていたらTシャツと靴だった。ただ残念ながら、Tシャツは汗を吸いそうに無いし、靴は25.5cmで指を曲げないと入らないし、「もったいない」ばかりだ。ただそんな顔を見せることはできないから、うれしそうに振る舞い、礼を言った。しかし「お父さんは心だけでいい」といつものせりふを何回も繰り返した。
 実際にこの歳になって欲しい物などないのだ。しいて言えばボルボのV90か、牛窓に移住してきた多くの芸術家や作家達の作品を展示販売できる店を作るか、小高い中腹から牛窓の海を眺めながら楽しんでもらうランチバイキングができるレストランを作るか、和太鼓のチームを招いて演奏してもらえる、200人くらいの小さなホールを作るかくらいなものだ。ところが、それらはどう転んでも実現できそうに無いものばかりだから、無いに等しいのだ。身軽がいい。若いときから自然にそうして生きてきた。そうした生き方は僕の多くの欠点を補ってくれたように思う。おかげで、持ちすぎることや欲しがる物が多すぎて自滅する人間にはならなくてすんだ。