貢献

 今日ある女性が久しぶりにやってきた。と言っても月に一度や二度は電話で話をしているから、実際に会っていないだけで消息はすこぶる知っている。今日あることで今まで疑問に思っていたことが解決した。
 数年前に東京から牛窓に引っ越してきて、僕の薬局の近くだったものだから、一緒にやってきたおじいさんとともに僕の薬局を利用してくれるようになった。おじいさんはある道でとても有名な方らしかったが、その道とは全く縁がない僕にとっては、ただの時間をもてあましている、そして老いがかなり差し迫っている老人でしかなかった。その老人が孫に当たる彼女のことを東大を出ていると言っていた。ただその信憑性を疑わせるものがあり僕は単なる老人のホラと考えていた。疑った根拠は、老人がもうかなり肉体的な不自由を抱え始めていて、それに伴って自慢の思考力などの衰えを感じさせるところがあったことと、彼女自身から品と教養を感じさせるオーラが全く発せられていなかったことだ。それどころか、笑顔がよく出て、田舎の優しい若いお母さんでしかなかった。こんな人が東大だとは誰も思わないだろう。牛窓で就いた仕事も、高校を卒業していれば十分出来そうな仕事だった。東大である必要はない。
 ところが今日土産にくれたのが、東京に数年ぶりに帰って就職した所のクッキーだった。UTOKYOと箱に書いてある。これは東京大学の新しい正式な呼び方らしくて、「職場で買ってきた」の一言で確信した。おじいさんが言った事は本当だったのだ。そして何より感心したのは、彼女自身がそれを一度も口にしたことはないし、それをにおわすこともしたことがないことだ。能ある鷹が爪を隠しすぎだ。恐らくそれは謙遜ではなく、彼女自身の性格に由来するものだし、もっと言えば彼女にとって東大はそこまで特別なものではない、いや、彼女の入試の困難さにおいて特別なものではなかったのだろう。だからああして、飄々と生きることが出来るのだと思う。どんな状況でも克服できるだろうという自信があるのだろう。
 僕がそのことを悟ったその瞬間からも、なんら事態は変わらない。それが僕の特徴でもあるが「自分(あなたは)は・・・」と言いたい放題だ。彼女も今までのように、素朴な質問のしまくりだ。そんな彼女が今日しみじみ言った。「私が牛窓に来たのは、ヤマト薬局さんに会うためだったような気がする」と。これは嬉しい言葉だ。今でも何があってもすぐに相談してくれ翌日着で薬を送るが、人生に影響するほど貢献できていたと評価してくれるのは有り難い。今日の晴れ渡った空のようにすがすがしい女性の素朴な生き方に感心したすばらしい日になった。