配達

 ついに起こしてしまったかと思ったが、程度が軽微だったから不幸中の幸いだ。これに懲りて、もう遠慮は止めて配達を頼んでくれればいい。人を傷つけてしまえば遠慮も美徳とは言えなくなるから。 指を折って数えればその多さに驚くが、田舎では、一人暮らしの老人にとって車は足そのものなのだ。山の上の一軒家から、買い物に出ようものなら車がないと自由には出られない。歩くのもおぼつかないのに車を運転してやってくる人が多い。配達をしてあげるから遠慮しないでと言うのだが、そんな人に限って遠慮がちで、見るからに恐ろしい光景をひっさげてやってくる。寧ろ若い夫婦と同居したり社員がいる人達、あるいは何の不自由もない経済的に恵まれている人ほど、気楽に配達を頼んでくる。両親の代から配達を気軽にやる薬局だが、本来は来ることが出来ない人のためにやっていたもので、横着を保証するものではない。職業柄、体調が悪い人のために両親が頑張って自転車で配達していたもので、その心は受け継いでいるが、頼んでくる人の方が変容したような気がする。 驚いたのは、被害者に中る女性の対応だ。最後までその老人を決して責めなかった。近所の世話焼きが数人、手際よく処置してくれたこともあってか、動転からもすぐに回復しその後は終始落ち着いていた。牛窓に海水浴に来ていた岡山市の家族らしいが、お子さん達も戸惑っていたが、いやな顔をせずにおとなしく待っていた。母親は、帰るときにはおじいさんに「大丈夫ですか、お元気でいて下さい 」と声をかけて深々とお辞儀をして西の方に車を走らせた。世話焼き達は「これに懲りず、又牛窓に遊びに来てね」と声をかけて見送っていた。これ以上の教育があるだろうか。雰囲気次第では、老人の境遇を話そうと思っていたがそんな必要は全くなかった。好ましからざる出来事だったが、とてもさわやかな感動的な時間だった。