訓練

 昼食の為に2階に上がったときに偶然ニュースの時間と重なれば幸運だ。ニュースを見ながら食事が出来る。ただその時間帯とずれると悲劇だ。タラントや口から先に生まれたような進行役が程度の低い言葉を口にする。お笑いをを標榜するタラントのくせいに笑いも取れないし、番組を進行する役なのにコメンテーターの話の腰を折る。見るに堪えない、聞くに堪えない。何故そこに座らせるのかわからないが、今や教育テレビまで進出している。くだらない番組からの逃避行が教育テレビなのに、そこでタラントに待ち構えられていたら逃げ場所はもうない。スイッチを切って沈黙のうちに食事を済ませるしかないのだ。  今日の逃げ場所での番組は違っていた。珍しく土曜の2時過ぎに浪曲をやっていたのだ。何気無しに見始めたのだが、50年前の記憶が甦ってきた。それは僕が岡山市にある高校に通うために下宿生活を始めた頃のことだ。当時バスで通うには少し遠すぎたから、下宿する人も何人かいた。僕もその1人だ。おばあさんがやっていた下宿は当時は当然のようにまかない付だ。風呂も沸かしてくれる。隣の部屋とはふすま一枚で仕切られているだけだから息遣いまで聞こえそうだ。ただ当時はそれが当たり前だったから別段居心地が悪かったわけではない。ただ、英語など声を出して勉強したいときが困った。僕も遠慮するが明らかに学年が上の同居人も遠慮していた。たださすがにここ一番では音読をしたかったのだろう大きな声を出して勉強することもあった。僕はさすがに学年が下だから、その人が風呂などで部屋を空けるときに待ってましたとばかり声をあげてを勉強した。  そうした生活の中で唯一の楽しみはイヤホーンでラジオを聴くことだった。僕は当時下宿で言葉に飢えていた様に思う。下宿でと言うより、そうした年齢なのだろうか、ラジオから流れてくる言葉なら何にでも聞き耳を立てていたように思う。そして今日聴いた浪曲もその中の一つだった。16歳くらいの若者が浪曲を聞くのは珍しいかもしれないが、イヤホーンから聞こえてくる独特の節回しに引き込まれることがしばしばだった。あの節回しよりも言葉を追っていたような記憶もあるが。  今思ったのだが、ひょっとしたら当時の止むに止まれぬ娯楽が、その後の人の訴えを聴く耳を養ってくれたのかもしれない。口に出すことを禁じられて、心で言葉をつむいでいた。音に出来ないもどかしさの中で感受性が少しだけ訓練されたのかもしれない。