耳栓

 コカコーラの鮮やかな赤い缶が2つ机の上に置いてあった。こういった状況の判断はいつも決まっていて「誰かの差し入れ」なのだ。僕のものではなくても差し入れだからつい手を出す。いつものように飲んでやろうと手に取ると冷たくもなく重たくもない。何となく違和感があったのでしげしげと眺めてみると、アタリと大きな字が刻印されている。その意味が分からなかったので、1本を買ってもう一本貰えたのかと思った。 娘が丁度近づいてきたので尋ねてみると、中身はヘッドホーンだと教えてくれた。やはりコーラを買ったときに当たったらしく、その景品らしい。偶然だがこの日曜日にヘッドホーン型のイヤホーンを買うかどうか迷ったところなのだ。朝晩テープレコーダーに録音した時事ネタを聞きながらウォーキングをしているが、耳につっこむ旧式のイヤホーンはしばしば耳から落ちるのだ。そこで一大決心をして電気屋さんの前まで行ったのだが、まだ使える物を使わないのは僕の主義に反するので、店内に入らずに帰ってきた。  娘はアタリが出たのはもう3回目だそうだ。だから同じヘッドホーンを2個持っているという。だからすんなりと物欲しそうな僕にくれた。開けてみると意外や意外、形も本物らしく、実際にテープレコーダーに接続して聞いてみると、充分聞こえる。当然耳に入れるイヤホンより安定性がある。これなら少し乱暴に歩いても耳からはずれないだろう。 アタリなんて書いているから僕はあのグリコのおまけを想像していたのだが、実際に使える物だったので正直嬉しかった。これで主義を曲げる必要もなくなった。物は壊れるまで使う。ところで二つ今度のことで考えたことがある。もう3回もアタリが出るくらい頻繁に娘がコーラを飲んでいるのだろうかと言うことと、たかが100円くらいの物の景品だから、ヘッドホーンもかなり安上がりに出来るのだろう、物の価値が下がってしまい物づくりの現場の人達の意欲がそがれるのではないかという懸念だ。 もう大人の娘の心配をしても仕方ないし、世の中の流れを心配しても仕方ないのだが、アタリ外れの大きい人生を歩んできた僕としては、ヘッドホーンを耳栓代わりに何も聞かない方がいいのかもしれない。