我慢

 こんなことなら1年以上も我慢しなくて良かった。 僕はウォーキングの時、小型のテープレコーダーをズボンのポケットに入れイヤホーンで聴いている。小型のと言ってもずいぶんと古いものだから結構重たい。バレーをやっていた頃からのスポーツ用のズボンは、ベルトではなくゴムでずり落ちないようになっているが、それがもう10年以上前のものだから、ゴムの役割を果たすことが出来なくて、重いテープレコーダーのせいで歩いているとずり落ちそうになる。だから時には直接手で持ちながら歩いたり、最近は少し工夫して、ゴムの部分を何重にも折り返して、なんとかずらないで歩けるようにしている。まるで戦争直後の貧しい少年のようだ。あの頃そんな光景をよく見ていたような気がする。ひょっとしたら自分の幼いときの写真の光景かもしれないが。  今日岡山市内で3時間も時間を潰さねばならなかったので、似合いもしないのに涼しさを求めるのと兼ねて、大きなスーパーの中を回遊した。いつもなら恥ずかしくて足を踏み入れることが出来ない服のコーナーも、今日はやむにやまれず足を踏み入れた。僕は結婚してから基本的にはあてがわれる、あるいはもらった服しか着ていないので、こういった行動は本当に苦手なのだ。そこで問題のズボンを見てみたら、なんと1480円で、散歩用かスポーツ用か分からないが、今履いているのと同じようなものが買えることが分かった。僕は勝手に1万円くらいはするものだと決めていたから、その安さに驚いた。使えるものは最後まで使うというのが僕の主義だから、一瞬は迷ったが、もうこの辺で前のは暇を出してもいいかなと思った。余りにも安いから試着なんか出来ないのかと思ったら、店員さんがどうぞと言うから、試着してサイズを決めて買って帰った。 贅沢をしたのか、無駄遣いをしたのか今でもちょっと迷っているが、まあズボンがずり落ちることを気にせずに歩ければ、そして録音している内容に集中できればいいかとも思う。何せ僕が毎日聴いているのは小出先生の話だから、真剣に聴いて僕の家族や牛窓の人、薬局に来てくれる人達をすこしでも放射能から守らなければならない。何せ巨大な犯罪者がより長生きしてしまう可能性だってあるのだから。何故なら情報は彼らこそ持っていて、庶民には知らされないのだから、こんな割の合わないことはない。