先入観

 「クタクタ」と言われたら、疲れきっているのかと思う。ところがそうではない。では「ガウガウ」は?「メオ」は?「ビエー」は?「ウンボー」は?  最初から、鶏、犬、山羊、牛の鳴き声なのだ。それでは烏は?と尋ねてみるとないと答えた。烏は鳴かないのではなく、不吉だから物まねをしないそうだ。まさに所変われば・・・だ。  何かの拍子に僕が鶏の物まねをした。二人にとても受けて、三女はいつものように床にしゃがみ込んで笑い転げた。彼女は変わった癖があり、あまりに面白いとさっきまで腰掛けているのに何故か床の上にしゃがみ込んで笑う。不思議だが笑いの程度で何処でどのように笑うかがはっきりと分かれている。鶏の鳴きまねもかなり彼女に受けたのかと思ったが、僕の前歯がないのがもろ見えになってそれがおかしかったらしい。何か秘密めいたことになるととたんにかの国の言葉で二人が会話し始めるから、不吉な予感はしていたのだが、どうやら僕の滑稽さを笑っていたようだ。何はともあれそのおかげで又、文化の違いについて勉強できたのだから、馬鹿にされるくらい耐える。  この話題について話しているときに食卓の下でモコがご飯をくれと吠え始めた。その声を聞いて当然僕と妻は「ワンワンでしょう」と勝ち誇るが、彼女達も「ガウガウでしょう」と譲らない。何度聞いても同じで歩み寄る余地はない。そんなときに次女が「お父さん、ガウガウと吠えていると思って聞いてください」と言った。先入観を捨ててガウガウと啼いていると思うと、なんとそう聞こえるのだ。逆に彼女達にワンワンと思いながら聞いてみてと提案すると、やはりそのように聞こえると言っていた。最初は国によって耳が違うと主張していた三女も、耳が違うことは否定した。同じ人間だから構造は同じだろう。  不思議な出来事だったので少し考えてみてある理由を思いついた。全くの素人だから合っているのかどうか分からないが、自分で納得できたからそれでいい。恐らく、日本人は日本人の鳴き声を親から受け継いできたのだ。母親がコケコッコーと言いながら子供を育てるからコケコッコーなのだ。かの国ではクタクタと言いながら育てるからクタクタなのだ。  外国人2人と同居して、なんらあちらの言葉を覚えることが出来ない。僕が若かったらとうにバイリンガルだ。しかし、この年齢では、二人が熱心に言葉を教えてくれようとすればするほど「クタクタ」だ。