潮風

 顔も頭も服までもべとべとなのは、今日の曇天のせいではない。確かに四国村を1時間半、写真ダイスキ人間たちを連れて歩いたときは汗はかなりかいたが、べとべとと言う表現が適しているとは思えない。明らかにその状態になったのは、帰りのフェリーに乗っているときに、40分くらい甲板のデッキにいたからだ。それも居たくて居たのではない。不吉な予感と責任感からだ。もっともそれは懸念に終わってほっとしているが、でもその40分は結構気をもんだ。  和太鼓演奏が終わってから予約していたフェリーの乗り場まで行くと、さすがに便利になった。ちゃんと優先的に乗せてくれるのだ。ただ時間がかなりあったので、僕と飛び切り車に弱い女性が2人車外でフェリーの到着を待った。その間残りの6人はエンジンを切った車の中で寝ていた。それなのにフェリーに乗るとすぐにソファーに横になったりして眠り始めた。僕は手をつけれなかった情報誌を持って乗船するのが常だから、いつものように読んでいた。20分もたった頃だろうか、一区切りつけて眠り込んでいるかの国の女性達を見ると、一人少ない。彼女たちは基本的には集団行動をとってもらうから、少しあわてた。そしてデッキに上がってみると、その女性が手すりにもたれて物思いに耽っていた。なんと素足なのだ。もっともヒールの高い靴を履いていたから危険だと判断したのかもしれないが、なんとなく傍らにきれいにそろえた靴が置いてあるのは、日本の経験では不吉だ。その女性はまだ日本に来てから3ヶ月くらいしかたっていないから、日本語があまり話せなくて、その分接触が少ない人だ。ただやはり気になったので話しかけて客室に降りるように促し僕だけ降りた。ところが数分経っても降りては来ない。そこで気になって再び上がっていくと、結構強い風を受けながらデッキにまたもや物思いに耽るように立っていた。もうそこから目を離すことが出来なくなった。ひょっとしたらふるさと恋しさに飛び込むのではないかと本気で心配になってきた。だからいつでも腕を掴める距離に立って、お互い理解できない単語を時折交換しながら、玉野に到着をするのを待った。  言葉が通じれば「心配させて・・・」と言ってやりたくもなるが、言葉が通じないからその女性には伝わっていないだろう。ただ、僕も少しだけ嬉しい気持ちもあった。と言うのは、色々な経験をさせてあげようと、もう何年も僕なりに企画して楽しんでもらったが、意外と僕の想いとは裏腹に、フェイスブックのネタ探しみたいな感じで接してくるのが、いまひとつ重みがないと感じていた。ところが今日のその女性は、本当に珍しく海をずっと眺めていた。きっと色々な思いで眺めていたと思うが、これこそ僕が提供してあげたい状況なのだ。僕のおせっかいが、何か思索のネタになればいいなといつも思っている。  僕のべたべたは、潮風のなせる業だったのだ。デッキで姿を見失ったときに、フェリーが作る波間を懸命に目で探したことなど分かりはしないだろう。