吐露

 いつも笑いが溢れる薬局にしたいと思っているが、時にそうは出来ないこともある。  御主人が自分で処方箋を持って薬をとりに来ていたのに最近は奥さんが代理でやってくる。どうしたのかと尋ねてみると、もうほとんど家から出られないのだそうだ。もう何年も前から緑内障を患っていて、最近とみに悪化したこともあるが、内臓も悪かったらしい。家の中の移動は何とか出来、トイレも今のところ自分で行くことができるらしいが、それもいつまで持つか分からない。実母を10年以上介護し、最近見送ってやっと肩の荷が下りたところなのに、次は御主人の番だ。お互い元気だった頃には、不自由になったら施設に入ってもらうよと言っていたそうだが、実際にそれが近づいてくると不憫でなかなか言い出しにくいらしい。本心はもう入って欲しいのだが。  何年もウツウツとしている姿を見ていたので、これから又同じ状況に耐えなければならないのが気の毒だ。「何か楽しいことがある?」と僕が尋ねたところから心情を吐露し始めた。年齢とともに介護が負担になり、それが自分の体調に跳ね返り、決して万全の体調ではないから、日々老いを感じて将来に対して悲観的な見方しか出来ないらしい。「安楽死と言うものが日本でできるならやって欲しい」と言う言葉は、恐らく本心だと思う。「これから楽しいことがあるなどと想像もできないし、あるはずがない」と言ったのは、その女性だったか、僕だったか。いずれにしても全く意見が一致した。  虚空を見つめ続け、時々訳もなくうなづき、口をもぐもぐさせる。スプーンに載せたゼリーを口に運んでもらいやっとのことで飲み込む。時間が来ればヘルパーがおしめを替えてくれる。後はひたすらコンクリートの天井を見ながら眠るだけだ。時計もカレンダーも季節もない。時間はいつも時計の中に閉じ込められて、悲鳴を上げることすらしない。当てもなく廊下を車椅子で何度も往復し「ごめんね、ごめんね、家に連れて帰ってあげれなくて」と謝る。久しぶりに母の後ろに隠れて涙を流した。  そんな昨日が、その女性の話と重なった。